中小私鉄を調べるの面白さ
毎度、とりぬまぐみの車両台帳へのアクセスありがとう。
中小私鉄を調べる面白さは、個々の車両の辿って来た歴史だろう。
新製されてから一度もその地を離れる事が無いまま一生を終えるもの、大手私鉄で働いた後に第二の職場として中小私鉄に移るもの、一両一両にドラマがある。
俺達の世代は物心ついた時は東京周辺には蒸機の姿は無く、蒸機を撮りに行くには遠征しなくてはならなかった。
俺にとって蒸機より電車の方が身近な存在であって、電車の写真ばかり撮っていた。SLブームによって鉄道ファンが市民権を得たと言え、電車にカメラを向けるのは少なく、一般の人は珍しい生き物でも見ている様だった。
この頃の国鉄は吊掛車からカルダン車に移行する時期にあって、青梅線・五日市線・南武線・鶴見線は73形の活躍の場であった。72形グループは半鋼製車体から全金車体までいろいろなバリエーションを楽しめた。南武線・鶴見線では未だ17m車が働いていた。同形式の17m車は西武鉄道にもいたが、国鉄のものは内装に木の無垢材にニスが塗られていて西武のものよりも綺麗だった。
鶴見線を最後に73形が101系・103系に代わると戦前型電車を求めて大糸線・身延線・飯田線にも遠征した。青春18切符は未だ発売されて無く、周遊券で夜行急行に乗って宿泊代を浮かせた。フィルムも価格の安いモノクロしか使えず、リバーサルフィルムを使える様になったのは社会人になってからである。この頃の写真は酷かった。写真を撮りに行く事が楽しくて、結果はどうでも良かったのかもしれない。
西武鉄道501形の嫁ぎ先となった総武流山電鉄を訪れた事が、この世界に足を踏み入れるきっかけとなった。1両1両顔立ちが違う電車に魅力を感じ、写真を撮るだけでなくその生い立ちを調べる様になった。中小私鉄を調べ始めた頃、中小私鉄では戦前型を含めた吊掛車の全盛時代であった。直接制御や間接非自動制御の様な職人的な運転方法があったりして興味は尽きなかった。
当時は中小私鉄を巡る鉄道ファンなど皆無の状態で、突然の訪問でも現場の人は快く招き入れてくれた。お茶をご馳走になった事さえある。現場の人にしか解らない苦労話を聞く事が出来た事は、貴重な体験をしたと思っている。いくつか質問を用意して行く様に心がけた。質問に嫌な顔をせずに答えてくれた職員の方には感謝している。残念ながら、車庫内の立ち入りを断られる事も多くなって調査がしづらくなった。
鉄道会社毎にまとめていたが、『とりぬまぐみの車両台帳』では車両が登場した年代で分類して会社の枠を取り払った。
新製年については異論もあると思うが、車体が造られた年を基準している。写真はとても人に見せられるものではないが、走っている姿にこだわっている。車検などで出て来ないものもあって、何度も通ったあげく…………撮れなかった車両も多数ある。
サーバーの容量に制限があるため、時間が経った記事は削除していることを了承して欲しい。過去に載せた記事も再登場する事も。
西武鉄道 E71
転入/前所有 昭和37年 日本国有鉄道
新製 1922年 (大正11年) Westing-House
東海道線の電化に伴い輸入された電機である。Westing-House社の電機は弘南鉄道に現存するが、この電機は本線用とあって大きい。














