中小私鉄を調べるの面白さ

 毎度、とりぬまぐみの車両台帳へのアクセスありがとう。毎日アクセスしてくれる人も…………。
 ここで取り上げる車両について書いておこう。扱う範囲は中小私鉄と軌道で、国鉄から転換された第三セクター鉄道については手を付けていない。大手私鉄の路線である近鉄内部・八王子線は三重交通を買収した経緯から含めている。

 俺も多くの鉄道ファンがそうである様に、国電や大手私鉄の車両の写真を撮って歩いていた。俺が中小私鉄の車両の調査を始めたきっかけは、大井川鐵道にSLを撮りに行った時の事にある。移動の電車の中で西武所沢車両工場のプレートを見つけた。地元である西武鉄道で働いていた車両である事が後になって解る。総武流山電鉄に行った事が、この道に足を踏み入れる事になってしまった。総武流山電鉄の電車にも西武所沢車両工場のプレートが…………。
 1両1両顔立ちが違う電車に魅力を感じ、写真を撮るだけでなくその生い立ちを調べる様になった。
 中小私鉄を調べ始めた頃、中小私鉄では戦前型を含めた吊掛車の全盛時代であった。今までに見た事の無い運転方法があったりして…………。当時は中小私鉄を巡る鉄道ファンなど皆無の状態で、突然の訪問でも現場の人は快く招き入れてくれた。お茶をご馳走になった事さえある。現場の人にしか解らない苦労話を聞く事が出来た事は貴重な体験をしたと思っている。最近は車庫内の立ち入りを断られる事も多くなり、調査がしづらくなった。

 中小私鉄の動向は雑誌などで発表される事は少なく、人知れずに姿を消す車両も多かった。先輩方が書かれた記事や過去の写真に頼っているのが現実で、現在と過去の写真を照合によっても推測の域を出ない事も多い。
 調べた事を手書きで書いて、写真を貼り付けていた時期もあった。手書きからワープロ、パソコンへと進化した。パソコンは独学で覚えた。鉄ちゃんでなかったら、パソコンを使える様にはなっていなかっただろう。
 写真はとても人に見せられるものではないが、走っている姿にこだわっている。車検などで出て来ないものもあって、何度も通ったあげく…………撮れなかった車両も多数ある。

 各鉄道会社毎にまとめていたが、会社の枠を取り払った。登場した年代で分類する事によって、それまでに見えなかった事が見えてきた。
 『とりぬまぐみの車両台帳』には現本があって、記事は作りおいたワープロ文書を投稿のページ貼り付けて投稿している。投稿した記事は自分のパソコンに戻す事で、専用のソフトを使わなくてもInternet Explorerで開ける様にする作業をしている。記事は何度となく書き直しているだけに間違いもあるだろう。公開を目的で書いたのではないが、公開したからには間違いを正していきたい。間違いがあったら遠慮なく指摘して欲しい。
 使えるディスクに制限があるために時間が経った記事は削除していることを了承して欲しい。

 創成期から戦中戦後を経て、昭和30年代に入った。これからは大手私鉄が放出した車両が登場する。

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2008-05-11

江ノ島電鉄 デハ302-352 

          改造 昭和31年 東洋工機 
          新製 昭和4年 雨宮製作所

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        デハ302 七里ヶ浜~稲村ヶ崎 60-12-31

<デハ300形 302-352>
 江ノ電生え抜きのデハ101形101・102を種車とする連接改造によって昭和31年(1956年)にデビューしている。平成9年(1997年)まで働き、引退後は山梨県のオートキャンプ場に売却された。

 先頭部は丸妻の3枚窓で、中央部の窓が大きくなっている。水切りは直線、腰の両サイドには前照灯と尾灯を縦に並べている。
 側面は2扉・落とし窓で、扉はステンレス、窓はアルミサッシ化されている。
 走り装置はBaldwin製台車の流れをくむ軸ばね式コイルばね台車で、オイルダンバーを併用している。主電動機はMB-86B 出力37.3Kwを4機装架している。制御装置はES-251Aをデハ352に搭載、制動方式はSME式である。
 内装は床と共に木造で、壁面はグレイのペイント、床は防腐剤が塗布されている。

 連接改造は東洋工機に於いて施工されている。窓配置を変更して連結側となる扉を中央寄りに移設している。扉は連接引き戸から1枚引き戸とした。前面窓の中央部を拡大、ステップはホームのかさ上げに因り廃止し、アンチクライマーは撤去している。
 集電装置はトロリーポールからZパンタに変更、昭和 46年(1971年)より菱形パンタの使用を開始している。車体については昭和46年に乗務員扉を新設、昭和54年(1979年)より前照灯を腰に移設、シールドビーム化が施工されている。昭和60年(1985年)に客室扉をステンレス扉に交換している。サービス面では昭和56年(1981年)に暖房装置、昭和61年(1986年)に扇風機の取り付け
られている。

 種車の101形は昭和4年(1929年)に雨宮製作所に於いて新製された低床式電車である。江ノ島電鉄では初めての半鋼製ボギー車であった。

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2008-05-10

日立電鉄 モハ11 

          新製 昭和23年 日立製作所

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喉から手が出る程車両が欲しい時代に注文流れとは…………。

       モハ11 茂宮~久慈浜 61-6-5

<モハ11形 11・12>
 昭和23年(1948年)の鮎川延長にあたって新製した車両で、営団地下鉄からの転入車に道を譲って姿を消した。

 モハ11が鮎川側、モハ12が太田側に貫通扉を持つ両運転台車で、前面窓はHゴム支持、水切りは水平、前照灯は屋根に付けている。
 側面の扉はブレス扉3箇所、戸袋窓はHゴム支持、側窓は2段上昇式となっている。
 パンタは太田側に付け、通風器はガラベンを2列に並べている。
 走り装置・制御装置共に、モハ9形と同一としている。この車両には謎が多く、営団の注文流れと言われている。

 昭和17年(1942年)に銀座線の増備車として1200形に準じた200形が計画され、営団は5両を発注されたとある。内訳は日立製作所に2両、汽車会社には3両分の車体、三菱電機には電装品3両分が発注されたと言う。汽車会社では車体の製作が着手された事実は無い。
 日立製作所では車体は造ったが、営団には電装品のみ納入された。そこで、日立が製作した車体が宙に浮く格好となり、子会社である日立電鉄に回したと言う。
 戦後の復興期にあって、どの鉄道も車両が不足していて喉から手が出る程車両が欲しかったに違いなく、注文流れというのはとうてい納得がいかない。どの説も推測の域を出ない。

 集電装置はポールからビューゲル、菱形パンタへと変化していく。車体改修によって客室扉がプレス扉に変わり、窓枠のアルミサッシになっている。竣功時の写真から推測すると、前後の扉を運転室よりに移設している事がわかる。

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この電車は2つの顔をもつ。

       モハ11 川中子~常陸岡田 61-10-26

        

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2008-05-09

一畑電気鉄道 クハ101

          転入 昭和33年 
          前所有 西武鉄道 
          新製 昭和15年 木南車両

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       クハ103 伊野灘~津ノ森 57-10-4

<クハ100形 101~104>
 木造車の代替車として、昭和33年(1958年)~34年にかけて西武鉄道より購入したもので、京王帝都電鉄からの転入車に道を譲って姿を消した。

 先頭部は非貫通丸妻3枚窓、水切りは直線で、前照灯は屋根、尾灯は腰に付けている。
 側面の扉は3箇所で、窓は上段固定下段上昇式窓、車体にはシル・ヘッダーを巻いている。通風器はガラベンである。
 走り装置はイコライザー式重ね板ばね台車TR-10で明治45年式とされている。
 内装は客室扉・窓を含めて木造で、ペイント塗装としている。運転室は半室式で、車掌台側は丸パイプによって仕切っている。座席配置はロングシートである。車内灯は蛍光灯で、扇風機は取り付けられていない。連結側には貫通路は無く、非貫通となっている。

 昭和15年(1940年)に西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が木南車両に於いて新製した車両で、一畑デハ70形とほぼ同時期に竣工している。台枠の構造から木造車の鋼体化改造車と思われる。
 昭和23年(1948年)に旧西武鉄道との合併に伴ないクハ1230形1234~1237に改番、更に昭和29年(1954年)にクハ1235~1238に再改番されている。
 昭和31年(1956年)に現台車のTR-10に履き替えを行っている。
 昭和33年(1958年)に西武鉄道を去り、西武所沢車両工場で車体の改修が施した上、全車一畑に移った。

 一畑では木造電車の鋼体化名義でクハ100形(Ⅱ)101~104として竣工、デハ20形とMc-Tcの編成を組んで急行用として使われる様になった。MGを搭載していた事から、サービス電源はMGから給電する方式に改めた。昭和37年(1962年)~38年にかけて出雲市・松江温泉側の運転台を撤去している。
 昭和56年(1981年)の80形の転入に伴ってクハ104が姿を消している。

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2008-05-06

野上電気鉄道 モハ23 

        転入/改造 昭和33年 関西交通社 
        前所有 阪急電鉄 鋼体化 昭和25年 
        新製 明治43年 汽車会社

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       モハ23 北山~八幡馬場 2-12-6

<モハ20形 23>
 昭和33年(1958年)にデビューした車両で、野上電気鉄道の廃止の日まで働いた。

 先頭部は非貫通3枚窓で、中央の運転台窓のみ縦方向に大きくなっている。水切りは直線で、前照灯は屋根上に、円錐形の傘をかぶった尾灯を腰に付けている。
 側面の扉は3箇所で、中央部の扉が前後の扉の幅が 830mmに対して1120mmと広く、窓を1つ潰して扉を拡大した事が伺える。窓は落とし窓であるが、中央扉を隔てて登山口側が5枚、日方側が6枚となっている。全周にシル・ヘッダーを付け、リベットを残している。
 通風器はガラベン、集電装置は日方側にZパンタを付けている。鋼製車であるにもかかわらず床下にトラスを付け、台枠の構造から木造車であった事を伺わせる。  走り装置は軸ばね式重ね板ばね台車 Brill-27E-1 1/2を履いている。主電動機はGE-21B、出力52Kwを2機装架している。制御装置はGeneral-Electrik社製 MK形、制動方式はSME式である。

 内装は扉・窓枠を含めて木造で、木地仕上げとしているが、床についてはリノリュウム化されている。運転台機器は中央に配置し、運転室の仕切りは無くて路面電車のように解放式としている。車内灯は白熱求で、丸形の傘を付けている。MGを持たない事から、力行時に車内が暗くなる。放送設備、扇風機は無い。

 車体は阪急電鉄の前身となった箕面有馬電軌が、明治43年(1910年)に新製した1形で、一族は明治44年までに33両が竣工している。モハ23となった26は明治43年に汽車会社によって製造された。車体は木造のインターバン的な電車で、排障器を備えていた。側窓は落とし窓で、その上段には飾り窓を付けていた。
 大正15年(1926年)にポールからパンタに変更、昭和2年(1927年)には簡易鋼体化改造が施工されるとともに、妻面を丸妻から平妻に改造している。昭和23年(1948年)に電装を解除、昭和25年(1950年)には本格的な鋼体化改造が施工され、この時に両妻を貫通式に改造、T車として電動車に挟まれて運転されていた。
 昭和31年(1956年)より阪急電鉄を去り、野上と和歌山電鉄(南海に合併)に転出している。

 転入にあたって、関西交通社の手により改造が施されている。屋根はWルーフから丸屋根に改造、集電装置もポールに変更している。電装品は南海電鉄より購入したものを取り付けた。入線後にしばらくたってからZパンタに変更されている。

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2008-05-05

江ノ島電鉄 デハ303-353 

          改造 昭和31年 東洋工機 
          新製 昭和4年 雨宮製作所

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       デハ303 七里ヶ浜~稲村ヶ崎 15-10-17

<デハ300形 303-353>
 江ノ電生え抜きのデハ101形103・104を種車とする連接改造を東洋工機に於いて実施、昭和31年(1956年)にデビューしている。平成19年(2007年)まで働いた。

 先頭部は丸妻3枚窓で、幕板部分を張り上げている。前照灯は腰両サイド、尾灯は前照灯下に埋め込んでいる。
前面窓下には方向板を付けている。
 側面の扉はステンレス製、窓は上段下降下段上昇式としている。
 張り上げの屋根には、運転室側に菱形パンタ、中央部に空調装置とインバータ装置を載せている。
 走り装置は軸ばね式コイルばね台車で、デハ1500形のTS-829及びTS-830をベースに設計された。TS-829とはボルスタの形状が異なる事から新たな形式TS-837・TS-838となった。主電動機はTDK-8005A 出力50Kwを装架、駆動方式は中空軸平行カルダンである。

 内装は壁面・天井に布模様のメラミン化粧板、床にはライトブラウンのリノリュウムを敷いている。
座席はロングシートで、シートの生地はグリーンのものを用いている。運転台機器は在来形のままになっている。

 平成4年(1992年)駆動方式を吊掛式からカルダン式に改造を実施、並行して車体改修及び空調装置取り付け改造が施工されている。
 空調装置は路面電車用に開発されたCU-77AE1で、空調ユニットの中に電源装置を内蔵したタイプである。補助電源の容量が小さい車両でも搭載が可能である事が特色と言える。空調装置取り付け改造に伴い車内の内装も一新されている。
 改修工事によって客室扉が窓1枚分車体中央寄りに移設され、外観が大きく変化して304-354に近いスタイルとなった。内装については、壁面はメラミン化粧板、床はリノリュウムに張り替えている。
 平成11年(1999年)に制御装置の統一、制動方式をSME式からHRD式への改良によって運用上の制約をなくしている。

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更新改造前の姿。平成4年(1992年)の更新改造によって姿が一変している。

       デハ353 七里ヶ浜~稲村ヶ崎 61-1-28

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2008-05-04

弘南鉄道 モハ105 

          新製 昭和34年 大栄車両

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          モハ105 石川~鯖石 61-6-23

<モハ100形 105>
 弘前電鉄からの引き継ぎ車モハ100形 105で旧番号のまま編入されている。7000形の投入に伴い、いち早く戦列を離れた。

 先頭部は貫通式・Hゴム鋼体支持3枚窓で、前照灯は屋根上に1灯付けている。側面の扉は2箇所で、側窓は上段Hゴム支持下段上昇式である。車体を製作した会社が京成系の会社の為か京成スタイルとなっている。
 パンタは菱形パンタで大鰐側に付け、通風器はガラベンをのせている。
 資料によれば、走り装置は日本車輌製D-14で主電動機はMB-64C 出力59Kwを装架している事になっているが、昭和63年11月に現車を確認したところ、昭和17年 木南車両のプレートが付いており、台車の交換が行われた公算が大きい。

 弘前電鉄の開業にあたり、建設にあたった三菱電機が用意した木造車 モハ100形に始まる。昭和28年(1953年)製にも拘わらず木造車なのは、車体更新時に不用となった車体を流用し、台車及び電装品を取り付けて竣工させたためである。その後、車体が老朽化した事から、昭和34年(1959年)に大栄車両に於いて鋼体化改造を施工して晩年の姿となった。HL車の淘汰によって運用の機会が狭まったものの、閑散時の単行運転実施に伴って晩年は運用の機会が多くなっていた。また、モハ2233に替わってHL車3両を使った快速列車に使われていた。

 前所有者とされているのは秩父鉄道で、大正11年(1922年)に電気運転開始に伴い、日本車両及び梅鉢鉄工所に発注したものである。昭和26年(1951年)より始まった木造車の鋼体化計画により、新製車体に生まれ変わりデハ100形となっている。
 鋼体化改造は名義上の改造であったため、 日本車両ではあらかじめ手持ちの古台枠を使って車体を新製、種車の到着後に機器・部品を取り付けて発送するという形を繰り返して更新工事を施工した事から4車体分余った。そこで、日本車両が仲介に立ち、三菱電機と秩父鉄道との間で売買契約が成立した。
 モハ101~103はカテツ交通工業、 モハ105のみ日本車両において電装工事を施工している。デハ17~19は昭和26年の開業時、デハ14がやや遅れて昭和28年に入線、モハ101~103・105と付番された。鋼体化改造を受けなかったモハ101~103は後に廃車されている。

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2008-05-03

北陸鉄道 クハ1212

           新製 昭和32年 東洋工機

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       クハ1212 大河端~北間 2-11-13

<クハ1210形 1212>
 昭和32年(1957年)にデビューした半鋼製電車で、浅野川線の昇圧まで働いた。

 先頭部は3枚窓で幕板から張り上げ、前照灯を屋根にのせている。貫通式であったが、貫通扉は閉鎖されている。
 側面は2扉、アルミサッシ2段窓で、戸袋窓はHゴム支持とし、全周にウインドシル・ヘッダーを回している。北鉄スタイルを踏襲した車体であるが、種車の関係から当時新製された車両に比べ車体長が長くなっている。
 内装は木造でペイント塗装、ブラウンに塗られている。車内灯は蛍光灯で、床はリノリュウム張りとしている。運転室は丸パイプで仕切っただけの開放式となっている。

 木造車サハ652の古台枠を流用して東洋工機に於いて鋼体化改造したもので、サハ2000形 2002として竣工している。 昭和40年(1965年)には制御車に改造されてクハ1710形1712に改番、昭和48年(1973年)に浅野川線に移動してクハ1200形1212に改番された。将来電動車とする事を前提に造られていた事から、Tcでありながら両運転台車であった。電装される事もなく、金沢側の運転台機器は撤去されている。

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2008-05-02

野上電気鉄道 モハ24 

       転入/前所有 昭和31年 阪神電気鉄道 
       更新改造 昭和36年 
       新製 大正13年 藤永田造船所

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       モハ24 重根~幡川 2-12-5

<モハ20形 24>                  
 昭和36年(1961年)にモハ24の更新改造によって竣工した半鋼製電車で、野上電気鉄道の最後を見る事になる。

 先頭部は丸妻で貫通扉を持ち、窓は5枚窓である。水切りは直線で、前照灯は屋根、尾灯は腰に付けている。
 側面の扉は3箇所で、乗務員扉は無く、窓は落とし窓となっている。全周にわたり段付きシルを付け、リベットを残している
 通風器はガラベンで、日方側にZパンタを付けている。
 走り装置はBrill-27E-1 1/2を履き、主電動機はGE-21B 出力52.0kwを2機装架している。制御装置はGeneral-Electrik社製 MK形、制動方式はSME式である。

 内装は扉、窓枠を含め木造で木地仕上げとし、床はリノリュウム化されている。車内灯は管形電球のままとなっている。

 阪神電鉄が大正13年(1924年)に藤永田造船所に発注した371形で一族は20両が竣工している。
 車体構造は日本で初めて採用された半鋼製車体で、日本の鉄道車両史に残るものである。昭和4年(1929年)に601形に改番、集電装置はポールからパンタに変更すると共にドアエンジンが取り付けられた。大型車の進出と共に、昭和31年(1956年)より廃車が始まり、604が野上に転入している。
 車歴の上では阪神電鉄より購入した601形604の車体にモハ24の機器・台車を取付た更新改造車になっている。モハ24はモハ23と共に昭和33年(1958年)に阪急電鉄より購入し、ほぼ原型のままとして竣工している。モハ24の車体の痛みの著しい事から現車体に載せ替えられた。

 晩年は明治製菓の広告電車となり、同社のアーモンドチョコレートのパッケージと同じような塗装となって、TV・CMに出演している。。

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2008-04-30

高松琴平電気鉄道 21 

          転入/改造 昭和36年 自社 
          前所有 近畿日本鉄道 
          新製 大正14年 川崎車両

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          22 房前~塩屋 11-5-20
<20形 21~24>
 昭和36年(1961年)に近鉄よりモ5621形の車体を4両分購入して機器・台車を取り付けて竣工した半鋼製電車で、23のみ保存車として残る。

 先頭部は平妻貫通式で、窓はHゴム支持、貫通扉は引き戸としている。水切りは水平に付け、前照灯は屋根上に乗せている。
 側面の扉は3箇所で、運転室のすぐ後ろに客室扉があり、乗務員扉は無い。側窓はアルミサッシの落とし窓、
窓の内側に布を張った日除け戸を嵌めている。
 内装は木造でニス仕上げ、一部にメラミン化粧板を張っている。天井はペイント塗装で、扇風機を4機、蛍光灯を5灯取り付けている。

 近畿日本鉄道南大阪線の前身である大阪鉄道が、大正14年(1925年)に川崎車両に発注した、デロ20形21~24に始まる。先頭部は丸妻5枚窓、側窓にはアーチ形の飾り窓があって非常に凝った豪華な造りであった。モ5661形5661~5664を経て、昭和36年(1961年)に近鉄を去った。

 購入にあたって、今橋・仏生山の両工場に於いて特徴ある運転室部分を丸妻から切り妻に改造し、窓はHゴム支持、貫通扉を新設した事から平凡な面構えとなってしまった。
 昭和51年(1976年)に車体の痛みの著しい23、昭和63年(1988年)~平成3年(1991年)にかけて21・22・24の車体更新が施工されている。更新改造によって外板の張替が施工され、段付きシルから平形シルに、木製窓はアルミサッシに、戸袋窓はHゴムになった。

 番号から志度・長尾線で使う意図が有ったようだが、琴平線で使用を開始している。度々琴平線と志度線との間で移動したが、琴平線の車両の若返りが進んだ結果、志度線に落ち着くようになった。台車は転属する度に履き替えが行われたが、現在では全車本来の1000形の台車である川崎BW-78を履いている。

 600形投入に伴い23を残して姿を消した。

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2008-04-27

新潟交通 モハ11 前期型 

          新製 昭和35年 日本車輌

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後方に白く見えるラインは上越新幹線。新潟交通の線路は上越新幹線を2渡くぐっていた。

          モハ18 燕~灰方 58-7-31

<モハ10形 11・14> 
<モハ18形 18>
<モハ19形 19>
<モハ20形 20>
 更新改造名義で日本車輌に発注した車両で、鉄道線の廃止に伴って姿を消した。モハ11は月潟村に譲渡され、旧月潟駅構内に保存されている。

 先頭部が湘南形非貫通の両運転台車で、窓上に砲弾形の前照灯、窓下に尾灯更に尾灯の下に自動車のウインカーのようなものを付けている。
 側面の扉は2箇所、側窓は上段Hゴム支持固定下段上昇式、戸袋窓は上下共にHゴム支持としている。
 屋根は張り上げ屋根で通風器はガラベンである。白山下側にパンタ、燕側に無線アンテナを付けている。
 走り装置はモハ19・21がBrill-27-MCB、モハ11・14・18は日車D-16を履き、主電動機はWH-556J 出力 75.0Kwを装架している。制御装置はHLで、制動方式はAMM式である。
 内装は鋼板張りで若草色ペイント塗装、床は木造で防腐剤塗布またはリノリュウム貼りとしている。運転台は半室式で、運転席の横に運賃箱を設置している。座席はロングシートであるが、運賃箱の前のシートは撤去している。

 新潟交通における更新改造は昭和35年(1960年)のモハ19から始まり、昭和44年(1969年)のモハ25が竣工するまで10年近くかかって施工されている。
 ここでは昭和35年~昭和42年(1967年)に新製されたものを前期型、それ以降に新製されたものを後期型とする。
 昭和57年(1982年)のワンマン運転の実施に伴い、新潟鐵工所の手によってワンマン化改造が施工されている。ワンマン方式は、後乗り前降り整理券方式である。
 車体外部にはサイドミラー及び扉付近にインターホンを付けている。車内では、出入り口センサー・整理券発行装置・ルームミラー・運転席背面に両替機付き自動運賃箱の設置している。保安面ではATS装置・列車無線・足踏み式デットマン装置の新設、戸締め装置を新設すると共に扉スイッチを手元に取付ている。案内放送は自動案内放送装置によって行われる。

 平成8年(1996年)から9年にかけて名古屋鉄道より購入したWH-556Jに変更している。

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