中小私鉄を調べるの面白さ 

 毎度、とりぬまぐみの車両台帳へのアクセスありがとう。
 中小私鉄を調べる面白さは、個々の車両の辿って来た歴史だろう。
新製されてから一度もその地を離れる事が無いまま一生を終えるもの、大手私鉄で働いた後に第二の職場として中小私鉄に移るもの、一両一両にドラマがある。

 俺達の世代は物心ついた時は東京周辺には蒸機の姿は無く、蒸機を撮りに行くには遠征しなくてはならなかった。
 俺にとって蒸機より電車の方が身近な存在であって、電車の写真ばかり撮っていた。SLブームによって鉄道ファンが市民権を得たと言え、電車にカメラを向けるのは少なく、一般の人は珍しい生き物でも見ている様だった。
 この頃の国鉄は吊掛車からカルダン車に移行する時期にあって、青梅線・五日市線・南武線・鶴見線は73形の活躍の場であった。72形グループは半鋼製車体から全金車体までいろいろなバリエーションを楽しめた。南武線・鶴見線では未だ17m車が働いていた。同形式の17m車は西武鉄道にもいたが、国鉄のものは内装に木の無垢材にニスが塗られていて西武のものよりも綺麗だった。
 鶴見線を最後に73形が101系・103系に代わると戦前型電車を求めて大糸線・身延線・飯田線にも遠征した。青春18切符は未だ発売されて無く、周遊券で夜行急行に乗って宿泊代を浮かせた。フィルムも価格の安いモノクロしか使えず、リバーサルフィルムを使える様になったのは社会人になってからである。この頃の写真は酷かった。写真を撮りに行く事が楽しくて、結果はどうでも良かったのかもしれない。

 西武鉄道501形の嫁ぎ先となった総武流山電鉄を訪れた事が、この世界に足を踏み入れるきっかけとなった。1両1両顔立ちが違う電車に魅力を感じ、写真を撮るだけでなくその生い立ちを調べる様になった。中小私鉄を調べ始めた頃、中小私鉄では戦前型を含めた吊掛車の全盛時代であった。直接制御や間接非自動制御の様な職人的な運転方法があったりして興味は尽きなかった。

 当時は中小私鉄を巡る鉄道ファンなど皆無の状態で、突然の訪問でも現場の人は快く招き入れてくれた。お茶をご馳走になった事さえある。現場の人にしか解らない苦労話を聞く事が出来た事は、貴重な体験をしたと思っている。いくつか質問を用意して行く様に心がけた。質問に嫌な顔をせずに答えてくれた職員の方には感謝している。残念ながら、車庫内の立ち入りを断られる事も多くなって調査がしづらくなった。

 鉄道会社毎にまとめていたが、『とりぬまぐみの車両台帳』では車両が登場した年代で分類して会社の枠を取り払った。
 新製年については異論もあると思うが、車体が造られた年を基準している。写真はとても人に見せられるものではないが、走っている姿にこだわっている。車検などで出て来ないものもあって、何度も通ったあげく…………撮れなかった車両も多数ある。

 サーバーの容量に制限があるため、時間が経った記事は削除していることを了承して欲しい。過去に載せた記事も再登場する事も。

西武鉄道 E71 

        転入/前所有 昭和37年 日本国有鉄道

        新製 1922年 (大正11年) Westing-House 

          

Photo

東海道線の電化に伴い輸入された電機である。Westing-House社の電機は弘南鉄道に現存するが、この電機は本線用とあって大きい。

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2009-03-11

文化財。

 東京中央郵便局の建て替えに鳩山総務大臣が待ったをかけたが‥‥‥。

 東京中央郵便局は昭和6年(1931年)に建築された鉄筋コンクリート造の建物。鳩山総務大臣は文化財として保存すべきと言っている。古い木造建築は文化財としての価値がわかっても、コンクリートの建物に文化財としての価値を見いだせる人は極わずかだろう。古い木造建築は文化財に成りうるが、近代建築は消えゆく運命にある。
 古い木造建築が蒸気機関車なら、近代建築は電車だろう。蒸気機関車は各地で保存・動態保存がされているが、保存される電車が少ないのは電車に対する関心の低さが起因している。

 鉄道博物館が開館したが、日本の車両史を語る上で重要な位置を占めるモハ30形(後のクモハ11形100番代)は保存されてない。モハ30形は日本で始めて新製された鋼製国電である。この頃は溶接の技術は確立おらず、車体はリベットによって組み立てられている。木造電車の名残を残す車体は、鉄道博物館・青梅鉄道公園で保存されているクモハ40形とは造りが違う。
 モハ30形の残党として弘南鉄道モハ1120・クハ1610が昭和63年(1988年)まで働いていたが、今はその姿は無い。

Kounann_1120_611015211432_2  

 モハ30形の残党は現存しているが、改造によって原型が大きく損なわれている。復元できる技術者がいるのかが問題になるだろう。

     弘南鉄道 モハ1120 石川~鯖石 61-10-15

Kounann_1610_6252021217

 写真から屋根の高さの違いがわかるだろうか。デビュー当時は二重屋根であった。更新改造によって丸屋根に改造されている。

     弘南鉄道 クハ1610 松木平~津軽大沢 62-5-20

 欧米では鉄道車両も文化財として保存していると言う。昭和初に輸入された台車がアメリカに里帰りした例もある。鉄道博物館の開館は鉄道車両を文化財と位置付ける第一歩である事は間違いないが、創世記に造られた電車は人知れず姿を消してしまっている。

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 Brill台車を履くデハ304-354。平成3年(1991年)にカルダン化され、不用になったBrill台車はアメリカに里帰りしている。台車にはオイルダンパーが装着されているが、復元されたのだろうか。

     江ノ島電鉄 デハ304 七里ヶ浜~稲村ヶ崎 60-12-31

 関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/railfantorinumagumi/2407878.htm
        http://blogs.yahoo.co.jp/railfantorinumagumi/5337078.html

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2008-12-22

弘南鉄道 クハ1700

       改造 昭和59年 自社 
       転入/前所有 昭和46年 日本国有鉄道  
       新製 昭和7年 日本車輌

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       クハ1700 館田~平賀 61-10-15

<クハ17形 1700>
 昭和46年(1971年)に国鉄より購入した半鋼製電車でサハ1700と付番、平成元年(1989年)の7000形の投入まで働いた。
 国鉄より購入した車両については、国鉄の形式をそのまま弘南の形式としていたが、この形式は国鉄には存在しなかった形式である。

 先頭部は非貫通式で、窓はHゴム鋼体支持3枚となっている。水切りは直線としている。
 側面の扉は3箇所、いずれもプレス扉としている。側窓は2段上昇式で、窓枠は木製である。
 内装は木造で、ペイント塗装としている。運転室は全室式である。
 通風器はグロベンで、走り装置は軸ばね式重ね板ばね台車 TR-23を履いている。

 入線後も3両編成の中間車として使われていた。昭和59年(1984年)に弘南線の編成見直しに伴って運転台が取り付けられてクハ17形 1700に改番された。 本来ならばクハ16形となるべきであったが、サハ1700に運転台の取り付け改造をおこなった事からクハ1700と付番したと言う経緯がある。前面はHゴム支持となったが、お世辞にも出来の良いものとは言えない。

 クハ1700の前身は、昭和4年(1929年)~7年にかけて新製された国鉄モハ31形グループのサハ39形 サハ39018で、一族は29両が竣工している。
 サハ39018は昭和7年(1932年)に日本車両で竣工している。この頃から電気溶接が採用されてリベットの数が減っている。昭和28年(1953年)の形式称号改正によって、サハ17210に改番されている。
 弘南鉄道では多数の戦前形17m国電を保有したが、旧モハ31形グループはこの車両のみである。

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2008-12-06

豊橋鉄道 モ1901 - 1951 

       転入/前所有 昭和61年 名古屋鉄道 
       新製 昭和32年 日本車輌

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       モ1952 芦原~植田 9-4-26

<モ1900形 1901 - モ1950形 1951>
<      ~1906-    ~1956>
 昭和61年(1986年)に名古屋鉄道より5300形に機器・台車を譲って不用となった5200系の車体を購入、国鉄の廃車発生品を使って電装を施した車両で、平成9年(1997年)の昇圧まで働いた。

 三河田原側Mcを1900形、豊橋側Mcを1950形とし、この2両で半ユニットを組んでいる。

 先頭部はフロントガラスにパノラミックウインドウを組み合わせた3枚窓としている。外観上は貫通式であるが、熔接により固定されている。前照灯は中央に1灯、左右に補助灯を付けている。中央窓下には方向幕を埋め込んでいる。
 側面の扉は片引き戸2箇所、側窓は2枚連続のユニットサッシの上段下降下段上昇式で、戸袋窓はHゴム支持である。裾の部分には絞りをつけている。
 張り上げ屋根には、分散式ユニットクーラを3基搭載、両車とも連結側にパンタを付けている。
 走り装置はウイング式コイルばね台車DT-21主電動機はMT-46A 出力 80Kwを4機装架、駆動方式は中空軸平行カルダンである。制御装置はMMC-10H-10Dで、各車が制御装置を持っていて自車のみ制御する形を採っている。制動方式はAMM式である。モ1950形には補助電源装置を搭載している。
 内装は淡い緑色のメラミン化粧板で、床はリノリュウム張りである。天井には逆富士形のダクトを設け、ラインデリアを併用して冷房効果を高めている。座席配置はセミクロスシートとしている。シートは転換式で、前後4脚、窓間には16脚と扉付近に3人掛けロングシートとしている。モケットの色をオレンジ色としている。
 冷房装置は補助電源装置組み込んだ空調システムCU-127A 10,500Kcal/hで、サービス電源用MGとは別に、空調用電源装置として25KVAのSIVを別に搭載する形を採っている。
 塗装は豊鉄標準色、クリームにスカーレットの帯であるが、先頭部の帯の形が他形式とは異なり、オレンジ色の髭を付けている。

 電装及び改造は自社高師工場で施工されている。走り装置は国鉄101系の廃車発生品DT-21・MT-46Aを用いて電装、名鉄が断念した冷房化改造は三菱電機が路面電車用に開発した軽量型の分散クーラを使うことで諸問題は解決し実施に踏み切った。

 名古屋鉄道がSR車(SuperRomanceCar)グループ5000系に続いて、昭和32年(1957年)に日本車両に於いて新製したもので、2両固定編成6本12両が竣工している。
 性能的には先発の5000系と同一で、ABF式制御装置、HSCブレーキを持つ高性能電車であった。
 側窓は1段下降式を採用したものの、雨水の侵入による外板の腐食に手を焼いた事から、昭和53年(1978年)に上段下降下段上昇式のユニットサッシに交換している。合わせて外板の改修、内装の更新工事が施工された。
 車体強度の関係から冷房化改造は断念され、機器・台車を供出して廃車、車体のみ豊橋鉄道に移った。

 平成2年(1990年)までに6編成が竣工、名鉄5200系は全車豊橋に移った事になり、豊鉄では最大勢力となったが、7年余りの短命に終わっている。引退後、車体は解体されたが、走り装置及び機器は福井鉄道600形に転用された。

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2008-11-28

高松琴平電気鉄道 1081-1082

         転入/前所有 昭和63年 京浜急行電鉄 
         新製初年 昭和34年

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<1080形 1081-1082>
<    ~1091 ~1092>
 京浜急行電鉄より昭和63年(1988年)より1000系を購入、琴平線の主力車両となっている。。

 先頭部は貫通式3枚窓、フロントガラスの上には列車種別表示器、方向幕を付け、センターに前照灯を埋め込んでいる。腰には尾灯のほかに方向板を取り付けている。
 側面の扉は3箇所、窓は2段上昇式で、戸袋窓についてはHゴム支持の固定窓となっている。屋根上には分散式ユニットクーラーを4基ずつ載せている。
 走り装置は、円筒案内式コイルばね台車TS-310Aで、主電動機はTDK-810Aを装架、駆動方式は中空軸平行カルダンである。

 購入にあたって、久里浜工場に入場して改造工事が施工されている。1000系の先頭車はM2で、M1車は中間車にあるため、中間車に先頭車の運転台部分を接合して先頭車に改造している。ちなみに1081となった1011は1009の運転台を接合している。
 当時は18m級の3扉車を購入する際には、瓦町においてホームと中央の扉が大きく離れる事から2扉に改造する必要があった。1000系についてはボギーセンターがやや中央に寄っているため、3扉のまま入線する事が出来た。
 琴電では初めて方向幕が使用される事となったが、方向板を併用する形をとっている。

 京浜急行1000系一族は600系を母体に試作された800系をもとに新製され、昭和34年(1959年)~昭和53年(1978年)の20年間に348両が竣工している。琴平に転入しているのは、昭和34年(1959年)~35年に新製された一次車グループである。
 先頭部は湘南形で、当初からシールドビームを備えていた。600系と同様に東急車両・東洋電機、川崎車両・三菱電機が製造にあたり、Mc1-M2-M2-Mc1の4両固定編成で登場した。
 非貫通のため地上専用であったが、運用上不便が生じる事から、昭和44年(1969年)~48年に東急車両・自社久里浜工場において貫通式に改造された。昭和51年(1976年)から空調装置取り付け改造が実施されている。
 1000系は京急では最大勢力を誇っていたが、1500系の増備によって次第に京急線より姿を消した。

《参考資料》
 鉄道ピクトリアル No.512 1989-5
  新車年鑑1989年版 
    高松琴平電気鉄道1080形    真鍋 裕司

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2008-11-27

叡山電鉄 デオ801-851 

          新製 平成2年 武庫川車両

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       デオ801 貴船口~二ノ瀬 2-11-18

<デオ800形 801-851>
<        802-852>
 平成2年(1990年)に武庫川車両に発注したもので、Mc1-Mc2の2編成がデビューしている。

 先頭部には屋根まで達する大きなフロントガラスをはめ込み、方向幕はフロントガラスの内側に付けている。腰には車体番号、車体番号を挟んで尾灯と一体となったシールドビームを2灯埋め込んでいる。
 側面の扉は3箇所で、窓は2段窓、連結部付近には方向幕をはめ込んでいる。
 屋根にはデオ801・803に菱形パンタを2基、空調装置としてPRU-3043形 ユニットクーラ 13000Kcal/hを2基搭載している。
 走り装置は緩衡ゴム式空気ばね台車 FS-544で、主電動機はTDK-8750A 出力53Kwを装架している。2両永久連結の2M方式とし、出町柳側奇数車をMc1、鞍馬側偶数車をMc2としている。制御装置はACDF-M853-777Eで、力行22段、制動19段で発電制動を備えている。制動方式はHRD-1式である。
 ボディカラーは、ホワイトを基調としたライン塗装しと、編成毎にラインの色を変えている。

《参考資料》
 鉄道ピクトリアル No.550 1991-10
  新車年鑑 叡山電鉄デオ801形
   叡山電鉄管理課          吉岡 壽一

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2008-11-20

江ノ島電鉄 デハ21 - 61

          新製 平成14年 東急車輌

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          デハ21 稲村ヶ崎~極楽寺 15-10-17

<デハ20形  21-61>             
<        22-62>
 開業100周年にあたる平成14年(2002年)に新製したレトロタイプの電車で、その年に21-61が竣工、翌15年に22-62が竣工している。

 車体は先にデビューしたデハ10形を基本としいるが、軽量化・保守の軽減を計るために二重屋根・Rのついた側窓をやめ、簡素化したデザインとしている。
 先頭部は折り妻3枚窓で、中央部の窓を大きくとり、両サイドに三角窓を配している。フロントガラス上部にはRをつけフロントガラスの内側に方向幕に替わるLED行き先表示器を取り付けている。前照灯はへそライトとし、尾灯は前照灯を挟んで両サイドに1灯ずつ埋め込んでいる。
 側面の扉は両開き扉、側窓はサッシレスの下降窓としている。
 屋根には、運転室側にシングルアームパンタ、中央部に空調装置とインバータ装置を搭載している。
 走り装置は、かつてデハ501形Ⅰが履いていたTS-837およびTS-838(付随台車)を改造して再用している。
 主電動機はTDK-8005A 出力50Kwを2機ずつ装架、駆動方式は中空軸平行カルダンである。制御装置はデハ1500からから踏襲している東洋電機ACDF-M450-789Aを搭載、制動方式はHRD-1D式である。

 内装は壁・天井に淡いグレーの大理石模様を用いている。床は全体にライトブラウン、扉付近にはグレー、いずれも研ぎ出し模様の敷物を敷いている。
 座席は運転台背面の海側に2人掛け、山側の藤沢側には1人掛けクロスシートを1脚ずつ、扉間・連結部はロングシートを配置している。シートには赤を基調とした模様入りの生地を用いている。
 扉の開閉時に電子音を知らせるチャイム、鎌倉側運転台背面には車椅子スペースを設けるなど、バリアフリーにも配慮している。
 ボディカラーは従来の江ノ電カラーであるダークグリーンとクリームとし、幕板・腰板の部分に金色の線を入れてクラシックなイメージを演出している。

《参考資料》
 鉄道ピクトリアル No.723 2002-10
  鉄道車両年鑑 江ノ島電鉄20形
    江ノ島電鉄車両部技術課       加藤 清

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2008-10-15

江ノ島電鉄 デハ1001-1051

       新製 昭和54年 東急車輌

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       デハ1101 七里ヶ浜~稲村ヶ崎 15-10-17

<デハ1000形   1001-1051>
<       1002-1052>
<デハ1100形 1101-1151>
<デハ1200形 1201-1251>
  昭和54年(1979年)に106形以来48年ぶりに完全な新車として東急車両製造において竣工した。基本的には在来車を踏襲しているが、 斬新なディザインで会社の新車に掛ける意欲を感じさせる。

 先頭部は折り妻で、大きなフロントガラスが特長といえる。フロントガラスには方向幕が組み込まれている。
 側面の扉は2箇所・片引き扉で、側窓は枠の無い強化ガラスによる1段下降式窓となってスッキリした窓回りとなった。
 屋根は張り上げ屋根、パンタは菱形パンタで従来通り運転台寄りに付けている。
 走り装置はペデスタル式コイルばね台車 TS-819およびTS-820で東急車両製である。主電動機はTDK-3510A 出力50Kwを装架し、駆動方式は吊掛式である。基礎ブレーキは片押し式踏面ブレーキとしている。
 車内はクリーム色を基調とした明るい車内となった。窓キセは巻き上げカーテンを一体化したFRP製で、窓ガラスにはプラスチック製の手掛けが付けられている。床の敷物は薄茶色のリノリュウムが張られ、座席のモケットはワインレッドとなっている。

 制御方式は直並列抵抗制御で、 制御装置はES-778-Aで電動カム軸式である。制動装置は、 私鉄各社で採用されている全電気司令式のHRD-1式である。
 力行及び制動は、 ワンハンドル式の主幹制御器によって指令される。ワンハンドルマスコンを採用するにあたって、京浜急行電鉄に於いて800系を使った講習会を実施している。 応荷重装置によって力行については150%の荷重まで一定の加速が保たれ、制動についても荷重の250%まで一定減速が得られるようになっている。

  昭和56年(1981年)には2次車としてデハ1100形 1101-1151が竣工している。2次車からは屋根・床などにステンレス鋼を用い、耐食性を高めている。冷房準備車として新製され、 補助電源は今までのMGに変わりSIVインバータとなり、CPの容量も増強されている。そして、翌年には冷房化改造が施工されている。
 昭和60年(1985年)には3次車としてデハ1200形が登場、 新製時から冷房車として竣工している。デハ1200形からは前照灯が丸型から尾灯と一体となった角型としている。 デハ1200形の登場によって1000形グループは4編成となった。1001-1051についても昭和60年には冷房改造が施工されている。
 平成15年(2003年)から16年にかけて1001・1002編成について車体改修が実施されいる。補助電源装置をMGからSIVに変更している。

 この車両は鉄道友の会より昭和54年度ブルーリボン賞を受賞している。

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2008-10-08

長野電鉄 モハ2501-クハ2551

       転入/改造 昭和52年 東横電設 
       前所有 東京急行電鉄 
       新製 昭和29年 東急車両

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       モハ2508 四ヶ郷~赤岩 1-11-3

<モハ2500形 2501-クハ2550形 2551>
<       ~2510        ~2560>

 昭和52年(1977年)に東京急行電鉄より5000系を購入、平成10年(1998年)に3500形に置き換えられるまでの21年間働いた。

 先頭部は湘南形2枚窓で、フロントガラスの内側に方向幕を付けている。前照灯はシールドビーム1灯で、尾灯は窓上と裾に2灯ずつ付けている。
 側面の扉は片引き戸3箇所、側窓は上段下降下段上昇式ユニット窓である。扉は車体断面に合わせ下部を内側に丸め、車体とホームの隙間が生じる事からステップを取り付けている。
 走り装置は東急車両が開発・製造した軸ばね式コイルばね台車TS-301で、駆動方式は直角カルダン方式を採用している。主電動機はSE-626で115Kwを1両あたり4機装架している。制御装置は電動カム軸式PE-11で、東芝製である。制動方式はAMC-D式で、発電ブレーキを常用し従来の空気ブレーキによって補足する。発電ブレーキで出た電力は抵抗器によって熱に換えられる。

 購入に先立って東横電設長津田工場において改造工事を施工している。Mcはデハ5000形を種車として、Tcはクハ5150形及びデハ5000形を電装解除して充てて長野側Mcをモハ2500形、湯田中側Tcをクハ2550形のMc-Tcの編成としている。
 地下区間を走るため運輸省A基準に適合すべく内装を張り替えて不燃化を強化している。主電動機はSE-518出力110Kwであったが、山の内の急勾配区間に対応して新製したSE-626 出力115Kwと交換している。寒冷地対策として、客室扉のレールヒーターの埋め込み、車内暖房用として15Kwのヒーターの取り付け、タイホーンをシャッター式の者に交換している。そのほか、踏切対策として先頭部の強化、保安ブレーキ、列車無線の設置が行われた。昭和55年(1980年)までにMc-Tcが10編成の20両が再デビュー、編成番号には「C」をつけていた。

 東京急行電鉄5000系は昭和29年(1954年)に東急車両に於いて新製された。車体は今までの設計概念を覆して、構成するもの総てに車体強度を負担させる新しい考えの基で設計された。
 デビュー当時はデハ5000形・サハ5050形・デハ5000形のMc-T-Mcの3両編成で竣工したが、昭和32年 (1957年)には中間電動車デハ5100形、更に昭和34年(1959年)にはクハ5150形が登場して全形式揃った。
 デハ5000形は50両に達して5050形が出現した事から、サハ5050形はサハ5350形に改番されている。5000系は総勢105両となって一時は東横線の主力車両として君臨したが、主力の座は後進に譲って次第に支線区に転属する事となった。
 昭和41年(1966年)より側窓が更新され、2段上昇式から上段下降下段上昇式に改造、更に昭和45年(1970年)より客室扉の更新改造が施工され、窓寸法が従来よりも小さくなった。
 昭和52年(1977年)より徐々に東急線上から去って第二の職場に移ったが、長野電鉄が5000系初の転出先となった。

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2008-10-02

京福電気鉄道福井鉄道部 モハ1101

       更新改造/転入 昭和56年 武庫川車両 
       前所有 阪神電気鉄道 
       新製 昭和35年 川崎車両

592705018513

       モハ1102 東古市~下志比 5-9-27 

<モハ1101形 1101・1102>
 老朽化した車両の更新改造の先駆けとして昭和56年(1981年)にデビューした車両で、新製扱いでに竣工している。

 先頭部は貫通式3枚窓で、窓はHゴム鋼体支持としている。前照灯はシールドビームを1灯ずつ2灯、窓上にはめ込んでいる。
 側面の扉は両開き2箇所、側窓は2段上昇式の2連窓で、3枚連続窓として戸袋窓は無い。
 パンタは福井側に付けられ、分散式ユニットクーラーを3基搭載している。
 走り装置はウイング式コイルばね台車DT-21、主電動機はMT-46A 出力80Kwを4機装架、駆動方式は中空軸平行カルダンである。制御装置はMMC-H-10Kを装着している。

 昭和24年(1949年)に日本車両で新製されたモハ1001・1002が、事故によって車体が破損したために更新改造名義で復旧する事になった。車体は阪神電鉄より購入した元ジェットカー5100形 5108・5109の車体を用い、種車の機器・部品を取り付ける事になった。
 購入に先立って、武庫川車両に入場して3扉から2扉に改造されている。走り装置は種車の履いていたD-18・主電動機はTDK-529/9HM 出力90Kwを装架、制御装置はES-519Bを装備して吊掛車として竣工した。

 平成12年(2000年)に豊橋鉄道1900形の廃車発生品である機器・足回り・空調装置を再用して、カルダン化・空調装置取付改造を川崎重工に於いて施工している。
 カルダン化改造を施工したのも束の間、同年12月には正面衝突事故によってモハ1101の先頭部が大破、廃車となっている。

 モハ1102は、ATS取付工事を施工してえちぜん鉄道に移籍している。

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2008-09-24

高松琴平電気鉄道 1051-1052

       転入/前所有 昭和52年 阪神電気鉄道 
       新製 昭和33年

Kotoden_1051_1660115417

       1051 榎井~羽間 1-6-6

<1050形 1051-1052>
 昭和52年(1977年)に試作ジェットカー5000形の車体を購入、手持ちの機器・台車を取り付けて竣工した車両で平成15年(2003年)まで働いた。

 先頭部は貫通式3枚窓、フロントガラスの上に前照灯を1灯ずつ2灯付けている。
 側面の扉は両開扉で2箇所、窓は単独窓で2段窓としている。車体中央部の元扉であった所の窓は、他の窓が2段上昇式に対して上段下降下段上昇式窓となっている。
 通風器はグロベンで、パンタは1051の運転台寄りに付けている。
 走り装置は緩衝ゴム式空気ばね台車 FS-526、主電動機はMB-3039A 出力110Kwを装架、駆動方式は平行カルダンWN継ぎ手を用いている。 

 発送にあたって、武庫川車両に於いて3扉から2扉に改造、走り装置は京急より購入した230形(→琴電30形)汽車2HEを履いたために近代的な車体には不釣り合いな下回りで再デビューしている。

 阪神5000系は各駅停車専用車ジェットカーの試作車として昭和33年に登場している。1051の車体は昭和33年(1958年)製、1052の車体は同年川崎車両製である。
 デビュー当初は湘南形の先頭部・側面の扉は3箇所であったが、昭和36年(1961年)には5100系と機器を統一すると共に先頭部を貫通形に改造している。

 昭和59年(1984年)になって走り装置の改造が行われ、FS-526及びFS-026に履き替えて新性能化されている。

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