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2008年8月

2008-08-30

上信電鉄 デハ201 - クハ301 

       新製 昭和39年 東洋電機

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       デハ203 馬庭~吉井 61-5-10

<デハ200形 201~203>
<クハ300形 301・302>
 昭和39年(1964年)に東洋電機に発注したもので、上信初の新性能電車として、デハ200形3両、クハ300形2両の5両が竣工している。

 先頭部はデハ200形は貫通式で下仁田側に運転台を持ち、クハ300形は非貫通で高崎側に運転台を持つ。フロントガラスはHゴム鋼体支持、フロントガラスの上には運転台側に種別表示器、車掌台側に方向幕を埋め込んでいる。前照灯はセンターに2灯、尾灯は裾に付けている。
 側面の扉は両開き扉で3箇所、戸袋窓はHゴム支持、側窓は1段上昇式窓としている。
 屋根は張り上げ屋根で、集電装置は菱形パンタをMc運転台側に付け、通風器はグロベンを乗せている。
 走り装置はウイング式コイルばね台車KD-207、主電動機はTDK-806/4D 出力100Kwを装架、駆動方式は中空軸平行カルダンである。制御装置は1M方式のES-42Aで、の主電動機を4機制御する。CP・MGはクハ300形に搭載して荷重の分散化を計っている。制動方式はAMM-R式である。

 平成17年(2005年)にデハ201-クハ301、平成18年(2006年)にはデハ202-クハ302が姿を消している。

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2008-08-29

富山地方鉄道 モハ14721 - クハ171 

       新製 昭和37年 日本車輌

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この角度で見れば車体の長さの違いがわかるだろう。

       クハ171 千垣~有峰口 59-6-16

<モハ14720形 14721-クハ170形 171>
<         14722-      172>
 モハ10021編成に引き続き昭和37年(1962年)に新製したもので、1M方式を採用して主電動機が110Kwに強化された事から新たな形式となった。

 車体はモハ10020形と同一となっている。
 走り装置はMcがウイング式空気ばね台車NA-307で、TcはNA-303を履いている。主電動機はTDK-803A 出力110Kwを4機装架、駆動方式は中空軸平行カルダンである。主制御装置はES-571B、制動方式はHSC-D式である。

 モハ14721-サハ222-モハ14722のの編成で竣工したが、昭和44年(1969年)に編成の見直しが行われ、Mc-T-McからMc-Tcに改められた。
 モハ14722を編成から外してサハ222の上市側に運転台を取り付けクハ171に改番している。
 相手を失ったモハ14722は、モハ10021の編成に組み込まれていたサハ221を編成から外して富山側に運転台を取り付けてクハ172に改番して編成を組み直している。この編成のみモハの向きが逆になっていたが、のちに方転して富山側Mcに揃えている。

 クハ170形 171・172は、モハ14720形より車体長が短くなっている。これは設計時は2両固定編成で竣工する予定であったが、計画変更により3両固定編成で竣工する事となり、モハ14720形の設計を変更して運転台部分縮めた事によるものである。更に、運転台取り付け改造によって窓割りが変則的なものとなってしまった。

 昭和61年(1986年)には日本車両の設計に基づいて自社稲荷町工場において冷房化改造を施工、10500Kcal/hのユニットクーラを4基取り付けている。冷房化改造と並行して内装を一新している。但し、運転室には手を付けられて無く、従来のままである。冷房効果を高める為、連結側の貫通扉を狭くし、引き戸に変更している。
 外観では前照灯及び補助灯を撤去してシールドビームを1灯ずつ2灯付けている。
 空調機取り付けに伴い、モハ14720形の自重増加による台車の改造を避けるため、補助電源をMcからTcに移設し、14760形から捻出した75KVAのMGを搭載している。

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2008-08-24

弘南鉄道 クハ3672

       転入/前所有 昭和55年 東京急行電鉄
       新製 昭和39年 東横車両

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       クハ3774 運動公園前~新里 2-10-16

<クハ3600形 3672・3674・3675>
<クハ3770形 3773・3774・3775 > 
 7000形投入まで弘南線の主力車両であったモハ3600形のTcで黒石側に連結されていた。

 先頭部は貫通式3枚窓で、前照灯は屋根に埋め込んでいる。側面の扉は3箇所で、側窓より扉の窓が小さい。走り装置はTR-14を履いている。

 弘南線ではMc-Tcを基本編成としてラッシュ時にTcを増結していたために、McよりTcが多い陣容になっている。
 7000形の転入後もクハ3672・3773の2両が予備車として残ったが、平成11年(1999年)に姿を消した。

 東京急行電鉄が戦後の車両不足を補うため、昭和22年(1947年)~昭和27年(1952年)にかけて戦災国電の払い下げを受けて東京横浜製作所及び東横車両に於いて修理して復旧させた車両である。クハ3672・3674はモハ30形、クハ3774・3775はサハ36形を前身としている。クハ3660形・3770形の2形式に分けられているのは、当時の東急電鉄では1500V区間と600V区間が存在したためにクハ3770形は複電圧車として製造された。その後の昇圧によってその区別は無くなったが、改番されることはなかった。
 昭和39年(1964年)~昭和41年(1966年)にかけて東横車両に於いて新製車体に載せ替えられて現車体になった。

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2008-08-23

上毛電気鉄道 デハ231 

       転入/前所有 昭和52年 西武鉄道 
       新製 昭和29年 西武所沢車両工場

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       デハ236 大胡~樋越 59-4-25

<デハ230形 231~238>
 昭和52年(1977年)に西武鉄道から購入した西桐生側に運転台を持つ半鋼製電車で、西武鉄道時代の装いで再デビューしている。東武鉄道から購入した3000形グループに道を譲って平成3年(1991年)までに引退している。

 先頭部は湘南形で、フロントガラスの内側に方向幕を吊している。
 車体長は17mで側面の扉は3箇所、側窓は上段固定下段上昇式で、窓枠はアルミサッシになっている。
 パンタは運転室側に付け、通風器はグローブ形である。
 走り装置は釣合梁式重ね板ばね台車TR-14A、主電動機はMT-10 出力100Kwを4機装架している。制御装置は、CS-1またはCS-5で、制動方式はAMM式である。

 昭和29年(1954年)に新生西武鉄道になって初の新造車モハ501形Ⅰとして登場した車両で、先頭部は当時流行した湘南スタイル、17m車ながらノーシル・ノーヘッダーの近代的な車体となった。しかし、完全な新車には成り得ずに台車及び電装品は廃車発生品を再用し、一部に木造車の鋼体化改造名義の車両も含まれる有り様であった。
 新製当初は128Kwの主電動機を持ち、サハ1501形を中間車にMc-T-T-Mcの4両編成を組んでいたが、昭和33年(1958年)~34年にモハ501形Ⅱが登場すると主電動機をモハ501形Ⅱに譲って100Kwのものと交換されている。デビュー当時から編成を組んでいたサハ1501形はモハ501Ⅱに組み込まれた事から、モハ411形に改番されてサハ1411形及びクハ1411形が新しい連結相手になった。
 昭和39年(1964年)にクモハ351形に再改番されている。昭和43年(1968年)には更新改造が施工され、通風器をガラベンからグローブ形に変更、窓枠の強化、扇風機の新設が行われた。又、MG・CPがTcに移設されている。
 多摩湖線用の6両を残して西武鉄道を去る事になる。第二の職場となった上毛電気鉄道には昭和55年(1980年)までに8編成が転入している。

 転入にあたって、一部の車両について制御器・パンタなどの機器を交換、前照灯がシールドビーム化された。

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2008-08-18

弘南鉄道 モハ3601 

       転入/前所有 昭和55年 東京急行電鉄
       新製 昭和39年 東横車両

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       モハ3608 津軽尾上~田舎館 63-9-18

<モハ3600形 3601・3602・3607・3608>
 モハ3600形・クハ3600形(半鋼製車体)に引き続いて昭和55年(1980年)~56年にかけて東京急行電鉄より購入した弘前側に運転台をもつMcで、車体は全金車体となっている。7000形投入まで弘南線の主力車両として働いた。

 先頭部は非貫通3枚窓で、前照灯は砲弾形のものを屋根に埋め込んでいる。
 側面の扉は3箇所で、プレス扉またはステンレス扉としている。側窓は上段固定下段上昇式である。運転室側に菱形パンタを付け、ベンチレータはガラベンである。
 走り装置はイコライザー式担ばね台車TR-14で、主電動機はHS-269-cr 出力142Kwを4機装架、駆動方式は吊掛式である。制動方式はAMM式である。
 内装は壁面はメラミン化粧板、天井は鋼板張りペイント塗装である。

 弘南鉄道が第2の職場となり、平賀車管に於いて改造工事が実施された。寒冷地対策として温風ヒータの設置、半自動扉化改造が施工された。貫通扉を閉鎖あるいは外板を張って完全な非貫通に改造している。貫通路の閉鎖によって東急時代の面影は薄くなってしまった。形式をデハからモハに変えたものの、東急の番号のまま使っている。142Kwのモーターを全開にして、Mc-Tc+Tc+Mc-Tc+Tcの6連で走る姿は今では語りぐさになっている。

 東京急行電鉄が戦後の車両不足を補うため、昭和22年(1947年)~昭和27年(1952年)にかけて戦災国電の払い下げを受け、 東京横浜製作所及び東横車両に於いて修理して復旧させた車両である。モハ3601はモハ31形、モハ3602・3607・3608はモハ30形を前身としている。
 昭和30年も後半になって、車体の老朽化が進んだ事から、昭和39年(1964年)~昭和41年(1966年)にかけて東横車両に於いて新製車体に載せ替えられた。
 省電規格で造られていた事から東横線・目蒲線以外には入線出来なかったが、更新改造にあたって車体幅を地方鉄道定規に収めて東急線全線に乗り入れられるように設計された。更新改造は名義上の事で、台車・電装品の再用にとどめている。電装品は国電時代のままであったが、 車体更新の前後に主電動機をHS-269-crに、制御装置もMMC-H-10Gに変更している。

 7000形投入後も予備車として、モハ3601が残ったが平成11年(1999年)に廃車になった。

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2008-08-16

秩父鉄道 デハ801 - クハ851

       転入/前所有 昭和54年 小田急電鉄 
       新製 昭和22年 日本車輌

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       クハ860 波久礼~樋口 61-5-9

<デハ800形 801~810>
<クハ850形 851~860>
 昭和54年(1979年)~56年にかけて小田急電鉄から購入した車両で、入線後僅か10年で後輩である101系に道を譲って平成2年(1990年)までに姿を消した。

 先頭部は貫通式3枚窓で、前照灯は貫通扉の上に尾灯は前照灯を挟んだ両サイドに埋め込んでいる。車掌台側窓上に列車種別表示、運転台側に車体番号、貫通扉に行き先表示器をつけている。
 側面の扉は4箇所で片引き扉、窓は2段上昇式である。集電装置は運転室側、通風器はグローブ形である。
 走り装置は軸ばね式コイルばね台車TR-25Aで、オイルダンパを併用している。主電動機はMT-30A 出力128kwを4機装架し、駆動方式は吊掛式である。制御装置はABF-H4128-802A、制動方式はHSC式である。

 1800形グループは全車が秩父鉄道に転出して小田急時代の番号から1000をひいたのが秩父の番号となった。三峯口Mcをデハ800形、羽生側Tcをクハ850形としてMc-Tc編成を組んでいた。
 転入にあたって、電気連結器は撤去して新にジャンバ栓が取り付けられた。密連である事から、故障などの万一の事故に備えて電機が救援できる様に中間連結器を取り付けた。
 デハ1806-クハ1856については部品確保のために熊谷工場に於いて解体され、デハ1811-クハ1861がデハ806-クハ856となっている。
 昭和60年(1985年)よりボディカラーが、黄色に茶帯に変更されている。

 小田急1800形は戦後の車両不足を補うために国鉄63形(最終形式73形)を私鉄に割り当てた車両である。63形は通勤電車の元祖とも言える車両で、乗客の乗り降りを円滑にするために客室扉を4箇所にしている。その後の101系にも引き継がれ、国鉄のみならず私鉄にも多大の影響を与えた。
 63形は敗戦後の資材不足の中で製造されただけあって、形式は『モハ』であっても未電装のままクハ代用で竣工したものもある始末であった。内装は出来るだけ省略され、屋根たる木が剥き出しのままであったり、座席の背ずりがなかったり悲惨な電車であったと言う。復興が進むにつれて座席などが改善され、ようやく電車らしくなった。昭和26年(1951年)の桜木町事件の教訓から3段窓から2段窓に改造された。

 小田急電鉄には20両が割り当てられたが、6両は相模鉄道に転出している。その後、名古屋鉄道より購入した6両で相鉄に転出した分を補填して、番号の振替を行っている。戦災復旧車2両も加わって総勢22両となった。

 昭和32年(1957年)~33年にかけて更新改造が実施されて外板の張り替え、窓枠のアルミサッシ化が施工されている。先頭部は非貫通3枚窓から貫通式になったものの、63形の面影を良く残していた。客室の内装は木造からメラミン化粧板となり、車内灯は蛍光灯となった。CP・MGは、McからTcに移って半ユニットを組むようになった。
 デハ1811-クハ1861は戦災国電を復旧したもので、デハ1820形を名乗って特異な存在であったが、新製車体に載せ替えられて1800形グループに編入されている。
 昭和43年(1968年)には主に機器関係の更新が施工され、制御装置は電空カム軸式 CS-5からABF、制動装置をAMM式からHSC式に変更して旧性能電車ながら近代的な電車となった。台車をTR-25Aに改良、方向幕の取り付け、前照灯の2灯化など、新性能電車に近付ける改造が施工され、国電のイメージは薄れて私鉄電車らしくなった。

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2008-08-13

総武流山電鉄 クモハ1201-サハ61-クモハ1202

       転入/前所有 昭和54年 西武鉄道 
       製造初年 昭和32年 西武所沢車両工場

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       クモハ1208 幸谷~小金城趾 7-5-19

<クモハハ1200形 1201-61-1202>
<       1203-62-1205>
<       1206-63-1207>
<       1208-65-1209>
 昭和54年(1979年)から西武鉄道より501形Ⅱを購入した全鋼製電車で、小型車ばかりであった流鉄に於いて車両の大型化・車種統一の礎を築き主力車両として君臨した。新製から40年がたって老朽化が進んだ事から、後輩に道を譲って平成11年(1999年)までに引退した。

 先頭部は当時鉄道界に新風を吹き込んだ湘南形である。フロントガラスはHゴム支持、前照灯はシールドビーム2灯を屋根センターに、尾灯は腰両サイドに埋め込んでいる。フロントガラスの内側に方向幕、下に愛称板を取り付けている。
 側面の扉は片開き3箇所、窓は2段上昇式、戸袋窓はHゴム鋼体支持としている。
 パンタは運転台寄りに付け、通風器はガラベンである。
 走り装置は軸ばね式空気ばね台車TR-25で、枕ばねを重ね板ばねから空気ばねに改造したタイプである。主電動機はMT-30 出力128Kwを4機装架、駆動方式は吊掛式である。
 内装は、壁は鋼板張りでベェージュのペイント塗装、床敷物はリノリュウムを用いている。

 西武鉄道ではMc-T-T-Mcの4両編成であったが、購入にあたってTを抜いた3両編成としている。ATS及び列車無線の撤去、尾灯の埋め込み、前照灯のシールドビーム化等の小改造が施工された。
 4編成12両が竣工している。編成毎に塗装を変えてフロントガラス下に愛称名のプレートを取り付けた。

 西武鉄道が初代クモハ501形の増備車として昭和32年(1957年)に西武所沢車両工場に於いて新製した車両で、このグループはクモハ521から車番が始まる。
 基本的にはクモハ501形Ⅰ(後の351形)を踏襲したが、車体は半鋼製車体から全金車体となって、車体長も17mから20mと大型化した。クモハ520~530とその不随車であるサハ1520~1530を組み込んだMc-T-T-Mcの4両編成で竣工している。
 翌年、2代目となるクモハ501~520が竣工して、クモハ510Ⅰの空番を埋めたために若番の方が製造年が新しくなっている。

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2008-08-12

叡山電鉄 デオ601

       新製 昭和54年 武庫川車両

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       デオ601 貴船口~二ノ瀬 2-11-18

<デオ600形 601~606>
 昭和54年(1979年)に武庫川車両工業に於いて新製された車両でデオ601~606がデビューしている。

 両運転台式の電動車で、先頭部は貫通形3枚窓、フロントガラスはHゴム鋼体支持、車掌台窓はアルミサッシとしている。車掌台窓は、デオ601・602は1枚窓、デオ603~606については2段窓に改造されている。前照灯はシールドビームを2灯、長方形のケースに収めて貫通扉の上にはめ込んでいる。尾灯は前照灯を挟んで2灯付けられている。
 側面の扉は3箇所で、側窓は2段窓、戸袋窓は1枚固定窓で、デナ20形の窓配置を踏襲している。
 屋根は張り上げ屋根で、パンタは出町柳側、通風器はグロベンである。
 走り装置はBaldwin-78-25-AAで、イコライザーの形がデオ601~604とデオ605・606で異なる。主電動機はTDK-513T 出力48.6Kwを装架している。制御装置はRPC-51、制動方式はSME式である

 阪神 831形であったデナ500形の機器・台車を再用して新製された更新改造であるが、デナ500形には無かった電制が付けられている。

 デオ900形のデビューによって出番が少なくなり、デオ601・602・605・606の4両が引退、デオ603・604も予備車として余生を送っている。

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2008-08-09

豊橋鉄道 モ1811-ク2811 

       転入/前所有 昭和54年 長野電鉄 
       新製 昭和36年 日本車輌

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       クハ2811 老津~杉山 9-4-19

<モ1811 - ク2811>
 昭和54年(1979年)に長野電鉄より購入した車両で渥美線の昇圧まで働いた。

 全体に丸みを帯びた鋼体に、Hゴムで固定されたフロントガラスは、ステンレスの桟で区切られている。窓上には豚の鼻のように突き出した前照灯、窓下には方向幕を埋め込んでいる。
 側面の扉は両開き扉が2箇所、側窓は2段上昇式の3枚連続窓とし戸袋窓は無い。屋根は張り上げ屋根、裾を少し絞っている。屋根は張り上げ屋根で、パンタをMcの連結面に付けているのは良いが、通風器は不釣り合いガラベンを乗せている。
 駆動方式は車体に不釣り合いな吊掛式となっている。モ1811がDT-12、ク2811がUD-26と古典的な台車を履き、主電動機はMT-30 出力110Kwを4機装架している。
 内装は鋼板張りでペイント仕上げ、床にはグリーン系のリノリュウムを貼っている。座席配置はロングシートである。

 長野電鉄ではモハ1101-モハ1102-クハ1151の3両でMc-Mc-Tcの編成を組んでいたが、渥美線では2両編成を基本としているために中間車を抜いたMc-Tcを購入している。
 制御装置をHLからMMCに交換、Mcの足回りは国鉄の廃車発生品DT-12に履き替えられて長野時代の75Kwから110Kwに強化された。

 長野電鉄が昭和36年(1961年)に木造車のモハ1・クハニ61・クハ51を種車に、日本車両に於いて鋼体化改造名義で新製したもので、モハ1101-モハ1102-クハ1151の形でデビューしている。2600系の導入により職を失った。
 中間車Mcであったモハ1102は伊予鉄道に再就職、運転台を取り付けてモハ603として再デビューしている。

 車両の冷房化・カルダン化が進行する中、昭和32年(1957年)製の1900形の冷房化に踏み切ったものの、モ1811-ク2811については施工される事はなかった。

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2008-08-02

中小私鉄を調べるの面白さ 

 毎度、とりぬまぐみの車両台帳へのアクセスありがとう。
 中小私鉄を調べる面白さは、個々の車両の辿って来た歴史だろう。
新製されてから一度もその地を離れる事が無いまま一生を終えるもの、大手私鉄で働いた後に第二の職場として中小私鉄に移るもの、一両一両にドラマがある。

 俺達の世代は物心ついた時は東京周辺には蒸機の姿は無く、蒸機を撮りに行くには遠征しなくてはならなかった。
 俺にとって蒸機より電車の方が身近な存在であって、電車の写真ばかり撮っていた。SLブームによって鉄道ファンが市民権を得たと言え、電車にカメラを向けるのは少なく、一般の人は珍しい生き物でも見ている様だった。
 この頃の国鉄は吊掛車からカルダン車に移行する時期にあって、青梅線・五日市線・南武線・鶴見線は73形の活躍の場であった。72形グループは半鋼製車体から全金車体までいろいろなバリエーションを楽しめた。南武線・鶴見線では未だ17m車が働いていた。同形式の17m車は西武鉄道にもいたが、国鉄のものは内装に木の無垢材にニスが塗られていて西武のものよりも綺麗だった。
 鶴見線を最後に73形が101系・103系に代わると戦前型電車を求めて大糸線・身延線・飯田線にも遠征した。青春18切符は未だ発売されて無く、周遊券で夜行急行に乗って宿泊代を浮かせた。フィルムも価格の安いモノクロしか使えず、リバーサルフィルムを使える様になったのは社会人になってからである。この頃の写真は酷かった。写真を撮りに行く事が楽しくて、結果はどうでも良かったのかもしれない。

 西武鉄道501形の嫁ぎ先となった総武流山電鉄を訪れた事が、この世界に足を踏み入れるきっかけとなった。1両1両顔立ちが違う電車に魅力を感じ、写真を撮るだけでなくその生い立ちを調べる様になった。中小私鉄を調べ始めた頃、中小私鉄では戦前型を含めた吊掛車の全盛時代であった。直接制御や間接非自動制御の様な職人的な運転方法があったりして興味は尽きなかった。

 当時は中小私鉄を巡る鉄道ファンなど皆無の状態で、突然の訪問でも現場の人は快く招き入れてくれた。お茶をご馳走になった事さえある。現場の人にしか解らない苦労話を聞く事が出来た事は、貴重な体験をしたと思っている。いくつか質問を用意して行く様に心がけた。質問に嫌な顔をせずに答えてくれた職員の方には感謝している。残念ながら、車庫内の立ち入りを断られる事も多くなって調査がしづらくなった。

 鉄道会社毎にまとめていたが、『とりぬまぐみの車両台帳』では車両が登場した年代で分類して会社の枠を取り払った。
 新製年については異論もあると思うが、車体が造られた年を基準している。写真はとても人に見せられるものではないが、走っている姿にこだわっている。車検などで出て来ないものもあって、何度も通ったあげく…………撮れなかった車両も多数ある。

 サーバーの容量に制限があるため、時間が経った記事は削除していることを了承して欲しい。過去に載せた記事も再登場する事も。

西武鉄道 E71 

        転入/前所有 昭和37年 日本国有鉄道

        新製 1922年 (大正11年) Westing-House 

          

Photo

東海道線の電化に伴い輸入された電機である。Westing-House社の電機は弘南鉄道に現存するが、この電機は本線用とあって大きい。

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