転入/前所有 昭和54年 小田急電鉄
新製 昭和22年 日本車輌
クハ860 波久礼~樋口 61-5-9
<デハ800形 801~810>
<クハ850形 851~860>
昭和54年(1979年)~56年にかけて小田急電鉄から購入した車両で、入線後僅か10年で後輩である101系に道を譲って平成2年(1990年)までに姿を消した。
先頭部は貫通式3枚窓で、前照灯は貫通扉の上に尾灯は前照灯を挟んだ両サイドに埋め込んでいる。車掌台側窓上に列車種別表示、運転台側に車体番号、貫通扉に行き先表示器をつけている。
側面の扉は4箇所で片引き扉、窓は2段上昇式である。集電装置は運転室側、通風器はグローブ形である。
走り装置は軸ばね式コイルばね台車TR-25Aで、オイルダンパを併用している。主電動機はMT-30A 出力128kwを4機装架し、駆動方式は吊掛式である。制御装置はABF-H4128-802A、制動方式はHSC式である。
1800形グループは全車が秩父鉄道に転出して小田急時代の番号から1000をひいたのが秩父の番号となった。三峯口Mcをデハ800形、羽生側Tcをクハ850形としてMc-Tc編成を組んでいた。
転入にあたって、電気連結器は撤去して新にジャンバ栓が取り付けられた。密連である事から、故障などの万一の事故に備えて電機が救援できる様に中間連結器を取り付けた。
デハ1806-クハ1856については部品確保のために熊谷工場に於いて解体され、デハ1811-クハ1861がデハ806-クハ856となっている。
昭和60年(1985年)よりボディカラーが、黄色に茶帯に変更されている。
小田急1800形は戦後の車両不足を補うために国鉄63形(最終形式73形)を私鉄に割り当てた車両である。63形は通勤電車の元祖とも言える車両で、乗客の乗り降りを円滑にするために客室扉を4箇所にしている。その後の101系にも引き継がれ、国鉄のみならず私鉄にも多大の影響を与えた。
63形は敗戦後の資材不足の中で製造されただけあって、形式は『モハ』であっても未電装のままクハ代用で竣工したものもある始末であった。内装は出来るだけ省略され、屋根たる木が剥き出しのままであったり、座席の背ずりがなかったり悲惨な電車であったと言う。復興が進むにつれて座席などが改善され、ようやく電車らしくなった。昭和26年(1951年)の桜木町事件の教訓から3段窓から2段窓に改造された。
小田急電鉄には20両が割り当てられたが、6両は相模鉄道に転出している。その後、名古屋鉄道より購入した6両で相鉄に転出した分を補填して、番号の振替を行っている。戦災復旧車2両も加わって総勢22両となった。
昭和32年(1957年)~33年にかけて更新改造が実施されて外板の張り替え、窓枠のアルミサッシ化が施工されている。先頭部は非貫通3枚窓から貫通式になったものの、63形の面影を良く残していた。客室の内装は木造からメラミン化粧板となり、車内灯は蛍光灯となった。CP・MGは、McからTcに移って半ユニットを組むようになった。
デハ1811-クハ1861は戦災国電を復旧したもので、デハ1820形を名乗って特異な存在であったが、新製車体に載せ替えられて1800形グループに編入されている。
昭和43年(1968年)には主に機器関係の更新が施工され、制御装置は電空カム軸式 CS-5からABF、制動装置をAMM式からHSC式に変更して旧性能電車ながら近代的な電車となった。台車をTR-25Aに改良、方向幕の取り付け、前照灯の2灯化など、新性能電車に近付ける改造が施工され、国電のイメージは薄れて私鉄電車らしくなった。