2008-07-04

弘南鉄道 モハ3612 

       転入/前所有 昭和50年 東京急行電鉄
       新製 昭和22年

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       モハ3612 津軽尾上~田舎館 2-10-16

<モハ3600形 3612~3614・3616>
 昭和50年(1975年)から東急電鉄より購入した半鋼製電車で、7000形の投入まで弘南線の主力車両であった。

 先頭部は貫通式3枚窓で、いずれも木製枠である。更新改造を施工した工場によって水切りのカーブなど一両一両顔付きが異なる。
 側面の扉はプレス扉3箇所で、2段上昇式窓ある。車体はウインドシル・ヘッダーを回している。戦災復旧車である事から、車体長は種車の関係から異なる。
 屋根上にはガラベンで、パンタは先頭部に付けている。
 走り装置はモハ3613のみTR-14、 その他はTR-22を履いている。主電動機はHS-269Cr 出力128Kwを4機装架、駆動方式は吊掛式である。
 車内の内装は、窓枠を含め木造でペイント塗装、床は防腐剤塗布としている。

 購入した東京急行電鉄3600形グループは戦後の車両不足を補うため、昭和22年(1947年)~昭和27年(1952年)にかけて戦災国電及び木造車の払い下げを受け、 更新改造を施した車両である。モハ3601の全金車体グループは車体の修理のみに終わったが、このグループは車体の傷みが激しかった事から、新日国工業・汽車会社・日本車両・東急横浜製作所に於いて、新製車体に載せ替えて竣工している。ただし、被災の程度により単なる機器・台車の流用に終わったもの、台枠を再用したものが有って後者については種車を推測する事が出来る。
 主電動機は国鉄時代のまま MT-7・MT-9・MT-10出力100KWを装架していたが、昭和36年(1961年)からMT-40に、 昭和39年からはHS-269-Cr 出力128Kwに増強している。制御装置についてもCS-5のままであったが、昇圧前後に日立MMC-H-10Gに変更された。

 購入にあたって貫通路の埋め込み、寒冷地対策工事が施されている。昭和52年(1977年)~53年にかけて保安ブレーキが新設された。

 番号はデハからモハに変わったものの、東京急行電鉄時代のままであった。

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2008-07-02

弘南鉄道 クハ3776

       転入/前所有 昭和50年 東京急行電鉄
       新製 昭和22年

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       クハ3777 館田~平賀 61-10-5

<クハ3770形 3776~3781 >
 昭和50年(1975年)から東急電鉄より3600形グループのTcとして購入、7000形の投入まで働いた。

 基本編成 Mc-TcにTcを増結するために、McよりTcが多い陣容になっている。基本編成に組み込まれているクハ3777・3779・3780は貫通式、増結車であるクハ3776・2781の貫通扉は閉鎖されている。

 東京急行電鉄が戦後の車両不足を補うため、昭和22年(1947年)~昭和27年(1952年)にかけて戦災国電及び木造車の払い下げを受け、 更新改造を施した車両である。全金車体グループは車体の修理のみに終わったが、このグループは車体の傷みが激しかった事から、新日国工業・汽車会社・日本車両・東急横浜製作所に於いて、新製車体に載せ替えて竣工している。

 東急時代の番号のまま竣工したが、クハ3679のみクハ3779に改番している。クハ3779はモハ30形を種車としているが、その他の車体の台枠は木造車のもので、種車が鋼体化改造車モハ50形であった事が推測出来る。

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2008-06-30

高松琴平電気鉄道 71 

        転入/前所有 昭和50年 東濃鉄道 
        新製 昭和24年 東芝

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珍しい東芝製の電車。この後、志度線に移動したが動く事は少なかった様だ。

       72 水田~西前田 1-5-4

<70形 71・72>
 昭和50年(1975年)に水害に因って廃止になった東濃鉄道より購入した車両で、名古屋市交通局からの転入車に道を譲るまで働いた。

 両運転台半鋼製電車で、琴電では最も小さい車体を持つ電車である。先頭部は丸妻貫通式で、車掌台側が2段窓、他の2枚は1枚窓としている。水切りは直線で前照灯は屋根に付けている。
 側面の扉は2箇所で、大きな2段上昇式窓が特徴と言える。全周にわたりウインドシルを回している。パンタは長尾側、通風器はガラベンを載せている。窓枠は72についてはアルミサッシ化されているものの、71は木製のままである。
 内装は木造で、床はリノリュウム張り、運転室は半室式としている。

 東濃鉄道が駄知線の電気運転開始に伴って昭和24年(1949年)に新製したモハ101・102で、数少ない東芝製電車である。
 71の築港側は先頭部は平妻になっているが、これは昭和31年(1956年)に電気機関車と衝突事故をおこし、日本車両東京支社において大破した部分を平妻で復旧ためである。

 71の連結相手は82であったが、82の廃車に伴って連結相手を失って平木駅構内に留置されていた。平成6年(1994年)に仏生山工場に於て車体改修が施工されて運用に就く事が多くなった。平成12年(2000年)に姿を消した。
 長尾線で1日1運用の仕事をこなしていた72は、やはり東濃から来た81と共に志度線に移ったが600形入線に伴って平成10年(1998年)に姿を消した。

 昭和24年製でありながら、台枠はその年代のものとは思えず完全な新車というには疑わしい。当時の情況から察すると中古車あるいは戦災車の古台枠を流用したものと思われる。
 東芝車両では同時期に箱根登山鉄道モハ101・102の鋼体化改造が施工されている。箱根登山鉄道には台枠を含めて新製したモハ101・102を納入し、箱根の古台枠を使って東濃のモハ101・102を造ったと推察したのだが…………。

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71の築港側は平妻となっている。

       71 西前田~水田 11-5-20

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2008-06-29

蒲原鉄道 モハ91

       転入/前所有 昭和50年 山形交通 
       新製 昭和31年 日本車輌

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       モハ91 村松~今泉 58-7-30

<モハ91形 91>
 昭和50年(1975年)に廃止された山形交通三山線のモハ106を購入、路線が縮小された昭和60年(1985年)まで働いた。

 車体長12m余りの両運転台半鋼製電車で、先頭部は2枚窓で運転台窓はHゴム鋼体支持、車掌台窓は2段窓としている。水切りは無く、屋根まで張り上げて坊主頭となっている。
 側面の扉は2箇所で、窓は上段Hゴム支持下段上昇式とし、窓枠はアルミサッシである。パンタは村松寄りで、側面のみ雨樋を付けている。
 台車は種車からBW-78-25AAタイプと推定される。

 昭和31年(1956年)に山形交通が日本車輌に於いて、モハ106を種車に鋼体化改造した車両である。昭和44年(1969年)になって西武所沢車両工場に入場して、車体の不燃化・HL化改造が実施されている。
 山形交通では三山線(JR佐沢線 羽前高松~間沢)で働いていたが、三山線は昭和50年に廃止になった事から蒲原に移ってモハ91となった。

 大正14年(1925年)に日本車両に於いて新製された木造電車、各務原鉄道K1-BE形1~8に始まる。電車にアルファベットを使う例に珍しく、Kは各務原鉄道、Bはボギー車、Eは制御装置を表したらしい。
 先頭部は丸妻5枚窓、側面は2扉で、屋根は丸屋根であった。制御装置はEE社製のカム軸式自動加速、台車は日車BWタイプを履いて登場している。昭和10年(1935年)に名古屋鉄道と合併、モ451となった。
 名古屋鉄道が昭和22年(1947年)に63形割り当ての見返りとして山形交通に転出とてモハ106になった。

 同形式であった名鉄モ450形は蒲原鉄道にも転出してデ101を経てモハ21となり、モハ91の入線後に姿を消している。

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2008-06-28

豊橋鉄道 モ1731-ク2731 

       転入/前所有 昭和50年 東京急行電鉄 
       新製 昭和34年 東横車両

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       モ1731 芦原~植田 9-3-11

<モ1730形 1731 - ク2731形 2731>
 東京急行電鉄よりデハ3550形を昭和50年(1975年)に購入したもので、渥美線の昇圧まで働いた。

 先頭部は貫通式丸妻3枚で、窓枠はアルミサッシである。前照灯は角形ケースに収めたものを屋根に取り付け、尾灯は腰両サイドに埋め込んでいる。
 客室扉はプレス扉3箇所、窓は上段固定下段上昇式としている。菱形パンタを運転室側につけ、通風器はガラベンである。
 走り装置は軸ばね式板ばね台車DT-12を履き、主電動機はMT-30 出力110Kwを4機装架している。制御装置はMMC-H-10D、制動方式はAMM式である。

 内装は鋼板張りで、淡いブルーのペイント塗装、座席配置はロングシートである。運転室は半室式から全室式
に改造している。

 東急電鉄が昭和34年(1959年)に老朽車の更新名義で東横車両に於て新製したもので、デハ3550形3553・3554として竣工している。車体更新名義である事から昭和34年製ながら吊掛車である。

 購入にあたって、名鉄鳴海工場に入場して豊橋仕様に改造している。田原側をモ1731、豊橋側をク2731としてMc-Tcの編成で竣工している。
 渥美線の架線電圧がDC600vであっため降圧改造を施工、ク2731についてはデハ3554の電装を解除した上に方転している。車体は貫通扉を閉鎖し、新たに方向幕を中央窓下に埋め込んだ。
 転入時は川崎K-3を履いていたが、モ1731のみ***年に国鉄より購入したDT-12に履き替えている。

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2008-06-27

弘南鉄道 クハ1613 

       転入/前所有 昭和49年 日本国有鉄道 
       鋼体化 昭和13年 大井工場 
       新製 大正12年 日本車輌

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       クハ1613 津軽大沢~石川 62-5-20

<クハ16形 1613>
 昭和49年(1974年)に国鉄より購入した半鋼製電車で、7000形投入によっていち早く引退した。

 クハ16形449を購入、クハ16形13と付番している。クハ16形400番代は大正の末期に製造された木造省電を、昭和9年(1934年)~昭和17年(1942年)にかけて鋼体化改造したモハ50形グループのクハ65形で221両が竣工している。クハ1613は昭和13年(1938年)に大井工場に於いてクハ65形065として竣工している。昭和31年(1956年)にクハ16形400番代449に改番されている。

 昭和56年(1981年)に東京急行電鉄より3600形が転入してきた事から、に大鰐線に移動している。
 本来ならばCSグループと編成を組む筈だが、主幹制御器をHL形に交換してモハ2233形等のHLグループと編成を組む様になった。

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2008-06-26

京福電気鉄道福井鉄道部 モハ2001 

       転入/前所有 昭和47年 南海電気鉄道 
       製造初年 昭和8年 川崎車両

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       モハ2007 越前島橋~観音町 59-5-26

<モハ2001形 2001~2016>
 昭和47年(1972年)に南海電鉄より購入した半鋼製電車で、モハ2001形として再デビューとなった。昭和60年(1985年)までに姿を消した。

 先頭部は貫通式丸妻3枚窓、水切りは水平に付けている。前照灯は屋根に載せ、尾灯は腰両サイドに取り付けている。
 側面の扉は2箇所で、側窓は2段窓または落し窓としている。
 パンタは福井側、ベンチレータはガラベンである。
 走り装置は汽車K-16および住友F-19で、主電動機はMB-146-SFR 出力75.0kwを4機装架、制御装置はRPC-54である。
 座席配置はロングシートである。

 購入したモハ1201形は昭和8年(1933年)~昭和12年(1937年)にかけて南海天下茶屋工場・汽車会社・川崎車両に於いて新製された。
 新製時は両運転台車であったが、昭和43年(1968年)にATS機器の取付に伴って片方の運転台の撤去が行われている。南海本線・高野線の昇圧に伴って貴志川線以外の職場を失い、貴志川線用を残して16両が南海を去って京福電鉄が第2の職場となった。

 昭和49年(1974年)から翌50年にかけて撤去された運転台が復活している。昭和57年(1982年)よりモハ2101形の更新改造の種車となり、機器・台車を譲って姿を消した。
 

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2008-06-25

伊予鉄道 モハ131 

       転入/前所有 昭和47年 相模鉄道 
       新製 昭和30年 東急車輌

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       モハ131 岡田~鎌田 1-5-31

<モハ130形 131・132>
 昭和47年(1972年)に相模鉄道より購入した半鋼製電車でモハ130形 131・132として竣工、平成3年(1991年)まで働いた。

 先頭部は丸妻3枚窓、水切りは直線、前照灯はシールドビームを1灯屋根に付けている。
 側面の扉は3箇所で、戸袋窓はHゴム支持、側窓は2段上昇式で、窓枠はアルミサッシである。
 パンタは先頭部に付け、通風器はガラベンである。 走り装置はアムストム式コイルばね台車 FS-316、主電動機はMB-3032Aを装架、駆動方式は平行カルダンWN継ぎ手を用いている。制御装置は電空カム軸式CS-1を装着している。

 西武所沢車両工場が車体更新等で不用になった車体に機器・台車を取り付けて造った車両で、モハ131は横河原側、モハ132は高浜側に運転台をもつMcとして竣工している。
 昭和50年(1975年)に在来車に合わせて運転台機器を中央に移設している。その後、窓枠のアルミサッシ化、戸袋窓のHゴム支持化が施工された。昭和60年(1985年)に小田急電鉄より購入した2200系用のFS-316を使ってカルダン化された。カルダン化にあたって制御装置の変更はなく、CS-1形制御器を持つカルダン車という異色の組み合わせであった。

 昭和30年(1955年)に相模鉄道が、東急車両において戦争で被災した帝都電鉄(現在の京王帝都電鉄井の頭線)1400形を種車にして新製車体に載せ替えたもので、2015・ 2016として竣工している。昭和40年(1965年)より2000形の大型化が計画され、2100系として生まれ変わる事となり機器・台車を提供して姿を消した。
 車体が比較的新しい事から2100系の製造にあたった
東急車両を経て西武所沢車両工場に送られ、制御装置としてCS-1A、台車はTR-14を装着して入線している。
 購入の経緯から昭和47年(1972年)西武所沢車両工場製とすべきだが、旧番号がはっきりしている事から昭和30年(1955年)東急車両製とした。

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2008-06-24

弘南鉄道 クハ2025 

       転入/前所有 昭和46年 松尾鉱山鉄道
       新製 昭和5年 川崎車両

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        クハ2026 館田~平賀 61-10-15

 
<クハ20形 2025・2026>
 昭和46年(1971年)に松尾鉱山鉄道からやってきた全鋼製電車で、7000形投入まで働いた。元を正せば俊足を誇った阪和鉄道モヨ100形の残党である。

 先頭部は貫通式3枚窓で、幌枠も残している。運転台部分のみHゴム支持、他の2枚は木枠である。水切りは水平に取り付けられ、前照灯は屋根に載せている。
 側面の扉はプレス扉3箇所、窓は2段上昇式である。連結側に残されている乗務員扉が両運転台車であった事を物語っている。車体の全周に段付きシル・ヘッダーを巻いている。
 屋根上の通風器はグローブ形で、電動車であった事から運転室の部分は欠けている。
 走り装置はKS-20 川崎車両製で、車体の重量を支える台枠は魚腹台枠である。
 内装は窓枠及び床を木造とし、壁面は鋼板張りでペイント塗装としている。

 現在のJR西日本 阪和線の前身である阪和鉄道が、昭和5年(1930年)の天王寺~東和歌山間の全通に備えて川崎車両に発注した車両で、モヨ100形100~107・クヨ500形501~506の13両が竣工している。 モヨの『ヨ』は座席配置の横型・クロスシートを意味した。ちなみに、縦型・ロングシートはモタで表した。
 基本設計は昭和4年に登場したモタ300形に準じ、性能面では150kwの主電動機を搭載して天王寺~和歌山間を61.2kmを45分で結んだ。
 阪和鉄道は、昭和19年(1944年)に国鉄に買収されて阪和線となった。 昭和28年(1953年)にはモハ2200形2201~2207に改番された。昭和34年(1959年)の形式称号改正によって買収国電としては唯一の5桁の形式番号が与えられた。
 国鉄時代に片運転台化・3扉化・クロベン化・制御器のCS化など、 徹底した標準化改造が施工され国電仕様となった。座席配置もクロスシートからロングシートに変更された。

 昭和43年(1968年)に国鉄を去ってクモハ22002・004が八幡平の松尾鉱山鉄道に移った。松尾入線時に両運転台に戻され、形式はクモハ201・202と付番された。 昭和46年に松尾鉱山鉄道は旅客営業を廃止してしまい、3年余りで松尾鉱山鉄道を去る事になった。

 購入後、自社平賀工場に於いて整備及び改造が施工されている。架橋の強度の関係から軽量化を計る必要があってモハ2025はモハ2251のDT-10・MT-7、モハ2026は廃車発生品のDT-10・MT-15と交換して竣工、モハ2025・2026と付番している。
 昭和53年(1978年)に3600形と編成を組むため電装を解除し、台車は元のKS-20に戻してクハ2025・2026に改番された。クハ2026は方向転換し、 先頭部が非貫通化されたがあまり出来は良いものではなかった。
 Mc-Tc-Tc編成の中間に挟まれていたが、日中はTcを切り離して2連で走るようになった事から先頭に立つようになった。   

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2008-06-23

江ノ島電鉄 デハ801-802 

       転入/前所有 昭和46年 上田交通 
       新製 昭和23年 汽車会社

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       デハ802 七里ヶ浜~鎌倉高校前 61-1-26

<デハ800形 801-802>
 昭和46年(1971年)に上田交通より購入した半鋼製電車でデハ801-802として竣工、昭和61年(1986年)まで働いた。

 先頭部は丸妻3枚窓で、中央窓は固定窓、両サイドの窓は2段窓としている。水切りは直線で、前照灯及び尾灯は縦に並べている。
 側面の扉はプレス扉3箇所・上段固定下段上昇式窓で、全周にウインドシル・ヘッダーを巻いている。
 走り装置はBaldwinタイプの軸ばね式重ね板ばね台車で、主電動機はTDK-5252 出力37.5kwを装架している。
 パンタは運転室側、ベンチレーターはガラベンである。

 内装は木造でグレーのペイント塗装、床にはオレンジ系のリノリュウムを貼っている。車内灯は蛍光灯で、扇風機は無い。

 昭和23年(1948年)に山梨交通が汽車会社東京支店に発注した車両である。当時はどの鉄道に於いても車両不足で、63形や私鉄規格型電車を新製し国鉄及び大手私鉄に振り向け、 その見返りとして手持ちの車両を中小私鉄に供出する政策が取られていた。 しかし、 山梨交通では車両規格が小さく他社の車両の転用が出来ない事から、 特別の許可を受けてモハ7形7・8が新製された。
 車体は開業時に新製されたモハ1形に準じて、2扉・集電装置はポールで、前照灯は腰の中央部に付けていた。機器・台車は予備品の流用と思われる。高床式電車でありながらステップを付けていた。昭和30年(1955年)にポールからピューゲルに変更された。
 昭和37年(1962年)に山梨交通は軌道線を廃止したため、上田交通に移った。

 転入に先立ち、ステップが撤去されている。軌道規格で車体巾が狭く車体がホームから離れる事から、張り出しが取り付けられた。集電装置は菱形パンタに変更された。丸子線に配置されてモハ2340形 2341・2342と付番されている。
 しかし、丸子線も安住の地にはならず、廃止の憂き目に合ってしばらくの間は上田原に留置されていた。

 車体が江ノ電の規格に合う事から購入する事となった。
 入線にあたって、制御装置をES-801に交換して永久連結化された。連結部となる運転台が撤去され、連結器はよく首の振るものに交換された。上田交通で取り付けられた張り出しは撤去された。
 江ノ電では平坦線が殆どであるため、主電動機はそれまで1両に4機であったものを、1両で2機ずつに減らされたが、昭和49年(1974年)の藤沢駅付近の高架化に伴って、35/1000の急勾配が出現した事から802は4機に戻されている。2扉では乗客が出入り口付近にかたまってしまう事から、 昭和50年(1975年)に自社極楽寺工場に於いて3扉に改造さた。3扉化と平行して乗務員室が拡大さている。
 塗装は在来車と同一だったが、昭和57年(1982年)に映画に出演するため、一昔前のブルーとクリームの塗り分けに変更された。その後、昭和59年(1984年)には二昔前のチョコレートとクリームの塗装となり、『チョコ電』の愛称が付けられた。
                           
 引退後、デハ801は山梨県南巨摩郡増穂町利根川公園に保存されている。

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2008-06-22

弘南鉄道 クハ1612 

       転入/前所有 昭和46年 西武鉄道 
       鋼体化 昭和9年 大井工場 
       新製 大正13年 日本車輌

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       クハ1612 石川~鯖石 63-9-13

<クハ16形 1612>
 モハ1122と共に西武鉄道よりクハ1311形1319を購入したもので、国鉄より購入した車両と同一仕様である事からクハ16形に編入してクハ1612と付番している。

 木造車の鋼体化改造車である国鉄モハ50形グループクハ65003として昭和9年(1934年)に大井工場に於いて竣工している。鋼体化改造車としては初期のもので車体の組み立てはリベットによるものだった。戦災によって除籍、西武鉄道に払い下げられた。
 西武鉄道では戦後の車両不足を補うために、昭和23年(1948年)~昭和29年(1954年)にかけて西武所沢車両工場の前身である復興社に於いて復旧、クハ1311形として20両が竣工している。
 リベットが見あたらず、通風器が1列である事から、復旧にあたって車体の大部分を作り替えたと想像出来る。

 モハ1122と共に弘南線に配置されたが、昭和55年(1980年)に大鰐線に移動している。7000形投入後も納涼ビール列車などのイベント用として籍を残していたが、平成11年(1999年)に除籍されている。

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2008-06-21

弘南鉄道 モハ1122

       転入/前所有 昭和46年 西武鉄道 
       鋼体化 昭和14年 大井工場 
       新製 大正13年 日本車輌

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       モハ1122 津軽大沢~石川 59-8-18

<モハ11形 1122>
 昭和46年(1971年)に西武鉄道より購入した車両で、モハ1121の追番でモハ1122と付番している。7000形投入後も車籍は平成11年(1999年)まで残って大鰐駅構内に留置されていた。

  国鉄モハ50形(→クモハ11形400番代)グループに属し、車体はモハ1121のグループと同じである。国鉄における更新修繕を受けていない事から張り上げ屋根のままで、通風器はガラベンである。
 車体には一見リベットのようなボツボツがあるが、これは外板の上から鋼板をあてた際に打たれた鋲でリベットではない。
 内装は木造で、車内灯は蛍光灯、運転室は半室式となっている。

 昭和14年(1939年)に木造省電の鋼体化改造車モハ50形058として大井工場に於いて竣工した。戦争で被災した事によって除籍となった。に西武鉄道が復興社に於いてさせた。
 戦後の車両不足は深刻で、西武鉄道も例外ではなかった。西武鉄道は戦災国電の払い下げを受け、後に西武所沢車両工場となった復興社に於いて復旧してクモハ311形として29両竣工させている。モハ1122は昭和23年(1948年)クモハ314として復旧している。
 戦災車を復旧したものに東急デハ3600形(弘南3600形)があるが、 東急が独自の形に改造したのに対して、西武鉄道では原型を忠実に再現している。このグループの譲渡車は少なく、車体の状態が悪く台枠を用いて新製車体に載せ替えたものと考えられる。
 昭和*年にクモハ328に改番された。西武時代に客室扉をプレス扉に、窓枠はアルミサッシに交換している。台車については軸箱をベアリングに変更している。

 弘南線に配置されていたが、昭和55年(1980年)に大鰐線に移動している。

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2008-06-20

江ノ島電鉄 デハ601-デハ651 

       転入/前所有 昭和45年 東京急行電鉄 
       鋼体化改造 昭和28年 
       新製 大正14年 蒲田車両

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       デハ601 七里ヶ浜~稲村ヶ崎 61-1-26

<デハ600形  601-651>
<       603-604>
 昭和45年(1970年)に東京急行電鉄80形を譲り受けた半鋼製電車で、デハ601-651は平成2年(1990年)まで働いた。

 先頭部は丸妻4枚窓で、運転台窓はHゴム支持、車掌台窓は2段窓、両端の窓は落とし窓としている。前照灯・尾灯は番号を挟んで腰に埋め込み、裾にはアンチクライマーを付けている。
 側面の扉は3箇所、窓は上段固定下段上昇式窓で、全周に渡りウインドシルを回している。
 張り上げ屋根の上にはガラベン、運転台側に菱形パンタ付けている。
 走り装置は軸ばね式重ね板ばね台車Baldwin-76E、主電動機はTDK-31A 出力45kwを4機装架している。

 東急80形は最近まで世田谷線で活躍していたが、世田谷線80形は昭和25年(1950年)に新製に対して、江ノ島電鉄に入線した80形は玉川電気鉄道が大正14年(1925年)に蒲田車両に於いて新製した木造電車36形36~45を種車とする鋼体化改造車である。
 鋼体化改造は昭和28年(1953年)に施工され、80形 88~102の続番で103~108となった。車体は東横車両・東急車両で新製されたデハ80形80~86と同一仕様となっている。
 昭和44年(1969年)の玉川線の廃止によって、生き残った104~107は87~90 Ⅱに改番されたが、その翌年には江ノ島電鉄に譲渡されている。

 入線にあたって永久連結化改造が施工され、デハ600形 601~604として竣工している。連結側運転台が撤去されたものの、200形の経験から貫通化は行われなかった。世田谷線とは軌間が異なる事から、1372mm→1067mmに車軸が変更された。 主電動機はデハ601-602ついては在来車のものを流用し、デハ603-604は日立HS-253Aを装架している。又、ホームの高さの関係からステップは撤去されている。
 昭和49年(1974年)の藤沢駅高架化にあたって、それまで各車2個ずつであった主電動機を4個ずつに強化、制御装置も間接非自動制御からES-801に交換している。
 昭和53年(1978年)には、前面窓及び戸袋窓がHゴム支持に改造され、前照灯が腰に移った。前面窓の固定化により、風通しが悪いと乗務員から不評を買ったため、大窓の片方をアルミサッシとして開閉が可能としている。これらの改造に因って玉電時代とは顔付きが変わってしまった。
 デハ603-604が昭和58年(1983年)に引退、先頭部がカットされて江ノ島の和菓子店の店先に置かれて後輩達の働きぶりを見守っている。昭和63年(1988年)に残ったデハ601-602の602が651に改番された。

 塗装は入線時に赤とクリームの塗り分けとしていたが、後に標準塗装となった。昭和60年(1985年)に入線時の塗装に戻され、『赤電』の看板を付けて運行されたが、晩年は標準色に戻されている。

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2008-06-19

伊予鉄道 モハ121・クハ421 

       転入/改造 昭和43年 西武所沢車両工場 
       新製 昭和23年 三井玉野造船所

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       モハ121 梅津寺~港山 1-5-31

<モハ120形 121~123>
<クハ420形 421>
 昭和43年(1968年)に西武建設所沢車両工場より購入した半鋼製電車で、京王帝都電鉄からの転入車が投入されるまで働いた。

 先頭部は丸妻3枚窓、モハ122は横河原側、クハ421は高浜側が貫通式半室運転台、その他は非貫通全室運転台で、運転台機器は中央に配置されている。
 側面には扉が3箇所、片開き扉で、側窓はアルミサッシによる2段上昇式窓である。
 パンタは先頭部に付け、通風器はガラベンである。 走り装置はモハ121・122がD-16でモハ123はTR-14、主電動機は前者がMB-146SFR、後者はMT-4でいずれも出力85.0Kwを装架している。
 内装は床を含め木造で、ペイント塗装となっている。

 西武所沢車両工場が車体更新によって不用となった京急400形の車体を買い取り、手持ちの機器・台車を取り付けて地方私鉄に売り込んだ車両である。
 伊予鉄道では4両購入している。モハ121-クハ421-モハ122の形で編成を組み、モハ123を増結車としてモハ122の高浜側、モハ123の両側に電気連結器を取り付けている。モハ121・クハ421は片運転台、モハ122・123は両運転台となっている。

 ベースとなった車体は京急400形(初代)で昭和23年(1948年)三井玉野造船所の製造である。戦後の資材不足と畑違いの造船所の製造の為か、車体の老朽化が進み昭和43年に新製車体に載せ替えられてサハ480形として再起している。

 不用となった車体は西武所沢車両工場に送られ、同工場に於いて車体の改修が施工された。外板の張替、窓枠のアルミサッシ化によって、ノーシル・ノーヘッダーの車体となった。制御装置・台車は同工場の手持ちのものが再用されている。
 モハ121・122については、昭和60年(1985年)に130形のカルダン化によって余剰となった足回りD-16に履き替えている。

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2008-06-18

新潟交通 クハ45 

       転入/改造 自社 昭和42年
       前所有 小田急電鉄 
       新製 昭和4年 川崎車両

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          クハ45 燕~灰方 59-8-29

<クハ45形 45~50>
 昭和42年(1967年)~44年にかけて、小田急電鉄より購入した半鋼製制御車で路線縮小によって次第に姿を消し、クハ46のみ鉄道線の最後を見る事になる。

 先頭部は非貫通3枚窓で、中央窓のみ大きくHゴム支持としている。水切りは水平に付け、前照灯は屋根に乗せている。窓下に尾灯、排障器を付けている。連結面は連結相手が非貫通のために貫通路は閉鎖されている。
 側面の扉はプレス扉で2箇所、ホームの高さを調整するためのステップをつけている。側窓は落とし窓、車体にはウインドシル・ヘッダー付けている。
 屋根上の通風器はガラベンで、運転台側に無線アンテナを付けている。
 走り装置はイコライザ式重ね板ばね台車で、クハ45・46はKS-30L、クハ47~50はKS-31Lを履いている。
 内装は窓枠を含め木造で、若草色ペイント塗装としている。又、日よけとしてガラリ戸を付けている。運転台は燕側で、運転室は半室式となっている。

 更新改造を施工したとあるが、台車は種車のままである事から単なる番号の振替にすぎず、書類上の種車は存在しないと考えられる。

 クハ45~48はワンマン化改造を受けて連結運転時もワンマン運転が行われていた。運転席の横に運賃箱を付けているが、モハ10形グループのように座席の撤去は行っていない。
 クハ45は平成5年(1993年)に引退した後に海を渡って佐渡島へ、佐渡市の港で待合室として使われている。

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2008-06-16

弘南鉄道 クハ1610 

       転入/前所有 昭和42年 日本国有鉄道
       新製 昭和2年 田中車両

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       クハ1610 津軽大沢~義塾高校前 63-9-22

<クハ16形 1610>
 昭和42年(1967年)に国鉄より購入した戦前型17m国電で昭和63年(1988年)まで働いた。

 昭和2年(1927年)にデハ73200形73340として田中車両(→近畿車輛)に於いて竣工している。昭和3年(1928年)の称号改正によりモハ30形142に改番された。
 昭和23年(1948年)~24年に電装品を他車に供出するために、電装解除されてクハ38形100番代に編入され事になってクハ38100に改番されている。昭和28年(1953年)の形式称号改正でクハ16形100番代に編入されてクハ16138に、更に昭和34年(1959年)にクハ16222に再改番された。
 大糸線を最後に国鉄を離れた。

 弘南鉄道ではクハ1610と付番、弘南線に配置された。国鉄時代に使われていた運行表示窓は弘南では方向幕として使用していたが、後に方向幕を廃止して運行表示窓は塞いでいる。方向板を使わずサボを使用していた事から方向板受けも外している。
 昭和55年(1980年)に大鰐線に移動している。

《参考資料》
鉄道ピクトリアル No.721 2002-9
 【特集】戦前製旧形国電17m鋼製車

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2008-06-14

総武流山電鉄 モハ1001

       転入/改造 昭和38年 西武所沢車両工場 
       前所有 西武鉄道 
       新製 昭和2年 日本車輌

111239001

この頃の沿線は田園風景であったが、線路に沿って道路が造られ住宅地に変わっている。

          モハ1001 鰭ヶ崎~平和台

<モハ1000形 1001>
 昭和38年(1963年)に西武鉄道から購入した半鋼製電車で、半世紀にわたって武蔵野の台地を走り続けたが、昭和56年(1981年)に西武鉄道の後輩である1200形に道を譲って引退した。

 先頭部は平妻非貫通3枚窓で水切りがカーブした省線電車タイプである。窓枠はアルミ枠、前照灯は屋根にのせている。
 側面の扉は2箇所で、窓は落とし窓でアルミサッシとなっている。更新改造によりリベット・ウインドシル・ヘッダーは無くなっている。
 パンタは運転室側、通風器お椀形ベンチレータを乗せている。

 昭和2年(1927年)に現在の西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が、日本車両製に発注したデハ1320形に始まる。このグループは、不随車を含め6両が新製された。モハ1001はデハ1320形 1321として竣工した。それまで武蔵野鉄道は川崎造船所に発注していたためか、ごつい造りの車両が多かったが、デハ1320形は前面雨樋に丸みがつき可愛らしい顔付きとなった。
 昭和23年(1948年)の旧西武鉄道との合併に伴う形式統一の際モハ222となった。昭和29年(1954年)にはモハ216に、33年には電装が解除されクハ1212に改番されている。
 昭和37年(1962年)より西武鉄道を去り、昭和40年(1965年)までに全車第二の職場を得ている。

 購入に先立ち、昭和38年(1963年)に西武所沢車両工場に於いて車体の改修工事及び電装改造が施工されている。窓枠はアルミサッシに取り替え、制御装置は東芝RPCからCS-1に変更している。
 入線以来大きな改造を受けず使われたが、昭和55年(1980年)になって台車がBW-78-25からTR-25Aに履き替えられている。

 ※流山車庫の人の話では、台車交換は陸運局の許可を受けなかったとの事である。TR-25Aは1200形の予備品であったものと思われるが、TR-25Aを履いていた時間は1年余りと短い。

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2008-06-10

豊橋鉄道 モ1801-モ1851 

          転入/改造 昭和42年 
          前所有 名古屋鉄道 
          新製 昭和3年 日本車輌

94190902025

          モ1851 老津~杉山 9-4-19

<モ1800形 1801 - モ1850形 1851>
<     1802 -      1852>
 昭和42年(1967年)に名鉄より、HL車の車体更新に伴い不用となったモ3350形・ク2345形の車体を購入、国鉄の廃車発生品によって電装して竣工した車両である。渥美線の昇圧まで働いた。

 先頭部は切り妻3枚窓、水切りのカーブ昭和初期の流行った面構えをしている。外観上は貫通式であるが、熔接によって非貫通式となっている。前照灯は屋根上に2灯、方向幕は腰に付けている。
 側面の扉は3箇所で、窓はアルミサッシの2段窓としている。ウインドシルは段付き、ヘッダーをつけている。
 通風器はガラベンで、パンタは両車の連結側に付けている。
 走り装置はイコライザー式重ね板ばね台車TR-22で、主電動機はMT-40 出力110Kwを4機装架している。制御装置は CS-5及びCS-1である。CP等の補助機器はモ1850形に搭載されている。
 内装は木造で、クリーム色ペイント塗装、床は防腐剤塗布としている。座席はロングシートで、運転室は半室式で車掌台と客室は丸パイプで仕切っている。

 名古屋鉄道本線の骨格を形成した愛知電気鉄道が最後の新車として、昭和3年(1928年)に日本車両に於いて新製したデハ3300形グループで、両運転台車デハ3300形・片運転台車デハ3600形、制御車クハ2040形で構成される一族は15両がデビューしている。
 名古屋鉄道になってからモ3600形はモ3350形に改番、戦後のク2040形の電装、モ3350形の電装解除により、新たにモ3610形・ク2340形が加わった。
 昭和41年(1966年)になって3730形に機器・台車を供出、車体のみ豊橋・大井川・北陸の3社に譲渡されている。

 転入に伴って車体改修が実施されている。扉下部の裾を切り取り、窓枠をアルミサッシに交換、車内灯の蛍光灯化、放送装置の取り付け等が施工されている。並行して飯田線で廃車となったクモハ14形の機器・台車を使って電装し、Mc-Mcの形で竣工している。
 昭和56年(1981年)と57年にラッシュ対策として中央部の扉を新設、合わせて先頭部の貫通扉の閉鎖、方向幕の取り付けが施工されている。

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2008-06-09

新潟交通 モハ16 

          転入/改造 昭和42年 自社
          前所有 小田急電鉄 
          新製 昭和4年 川崎車両

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道路を川に例えるなら、白山前駅は川の中州にぽつんと建っていた。 

         モハ16 白山前 1-10-27

<モハ16形 16>
 昭和42年(1967年)に小田急電鉄より購入した半鋼製両運転台電車で平成5年(1993年)の月潟~燕が廃止されるまで働いた。

 先頭部は非貫通3枚窓で、中央窓のみ大きくHゴム支持としている。水切りは水平に付け、前照灯は屋根に乗せている。窓下に尾灯、排障器を付けている。
  側面の扉はプレス扉で2箇所、側窓は落とし窓としている。連結面は連結相手が非貫通のために貫通路は閉鎖され、前面と同じ見付となっている。車体全体にウインドシル・ヘッダーを回している。
 屋根にはガラベンを乗せ、ベンチレータを挟んでランボード、燕側にパンタをつけている。
 走り装置はイコライザー式担ばね台車 J.G.Brill-27MCB-2で主電動機はWH-556J6 出力75.0kwを4機
装架、駆動方式は吊掛式である。制御方式はHLで、制動方式はAMM式である。

 内装は窓枠を含め木造で、若草色ペイント塗装としている。窓には日よけとしてガラリ戸を付けている。運転室は半室式で、運転席の横に運賃箱を付けている。

 小田急電鉄1400形グループは、昭和4年(1929年)から翌5年にかけてモハ201形・クハ501形として川崎車両に発注したもので、35両が竣工している。
 運転台はモハ201は両運転台で、先頭部は貫通式であったが、クハ501形は当初から片運転台で乗務員扉は進行方向右側しか付いて無かった。制御方式はHL、制動装置はAMM式であった。座席は扉と扉の間がクロスシート、他はロングシートであったが、昭和16年(1941年)には太平洋戦争開戦に因る輸送力増強に伴ってロングシート化されている。
 東急合併時にデハ1350形・クハ1300形に改番、新生小田急電鉄発足に伴い、デハ1400形・クハ1450形に再改番されている。昭和25年(1950年)頃からMGが取り付けられている。その後、モハ1400形の運転台の片方を撤去してTcと固定編成を組むようになった。近代化改造が施工され、室内の蛍光灯化・車内放送装置・扇風機が取り付けられた。
 昭和41年(1966年)から4000形Ⅰグループの更新改造の種車になった。昭和44年(1969年)までに小田急線上から姿を消した。
    
 元伊那電鉄の買収国電を種車に鋼体化改造したとあるが、番号の振替と考えられる。
 購入にあたって、先頭部及び妻面を貫通路を閉鎖、尾灯を窓上から腰に移設、ステップの取り付け等の改造が行われている。昭和57年(1982年)にワンマン化改造の施工されている。

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2008-06-03

伊予鉄道 モハ111・クハ411 

       転入/前所有 昭和42年 西武鉄道 
       新製 昭和3年 川崎造船所

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後方に見えるホームで人気ドラマのクライマックスのロケが行われた。ホームの手摺にはたくさんのハンカチが結び付けられていた。

         モハ112 梅津寺~港山 1-6-1

<モハ110形 111~115>
<クハ410形 411~413>
 昭和42年(1967年)の横河原線の電車運転開始に伴って西武鉄道より購入した車両で、京王帝都電鉄からの転入車に道を譲って姿を消した。

 車体は『川造タイプ』と呼ばれているレディメイドの全鋼車で、深い屋根とお椀形ベンチレータが特徴といえる。先頭部は非貫通折り妻、前面窓は3枚であるが、クハ411~413は3両編成の中間に挟まれている関係から貫通式となっている。モハ111・114は両運転台、その他は片運転台である。
 側面の扉は3箇所、戸袋窓はHゴム支持、側窓はアルミサッシによる2段上昇式である。
 パンタは先頭部に付け、通風器はお椀形である。走り装置はイコライザー式重ね板ばね台車KS-33L、主電動機はWH-556J 出力75.0kwを4機装架している。制御方式は間接非自動制御、制御制動方式はAMM式である。

 昭和3年(1928年)に川崎造船所に於いて製造された旧西武鉄道モハ550形・クハ600形に始まる。昭和15年(1940年)の改番によってモハ100形・クハ1100形と改番された。この際、前面窓を拡大して側窓に合わせ、前照灯を窓下から屋根上に移設している。武蔵野鉄道との合併に伴う改番によって、モハ151形・クハ1151形となった。
 昭和30年代後半には西武鉄道を去り、全車地方私鉄に散った。

 伊予鉄道は8両を購入、モハ110形111~115・クハ410形411~413と付番している。入線に先立って西武所沢車両工場に入場、外板の張替、窓枠のアルミサッシ化、戸袋窓のHゴム化を施工している。更新改造に因ってノーリベットの車体となった。川造の全鋼車の特長であったへの字形の水切りは無くなり、ウインドシルは段付きから平形シルとなった。

 昭和53年(1978年)に横河原線の4両運転開始に伴って、モハ111・114の両側、モハ113の高浜側に電気連結器が取り付けられている。
 造りが良く長持ちしたが、寄る年波には勝てず現役で活躍しているものは、客車に改造された津軽鉄道のもののみとなってしまった。伊予鉄道のものは比較的原型を保っていたが、平成6年(1994年)をもって姿を消している。

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2008-05-29

京福電気鉄道福井鉄道部 モハ271 

          転入/前所有 昭和39年 相模鉄道 
          新製 昭和2年 日本車輌

5952420642030

       モハ273 諏訪間~京善 59-5-24

<モハ271形 271・273>
 昭和39年(1964年)に相模鉄道より購入して半鋼製電車で新製扱いで再デビュー、昭和61年(1986年)まで働いた。

 先頭部は丸妻3枚窓で、窓枠は運転台窓はHゴム支持、他の2枚は木製としている。水切りは直線で、屋根上に前照灯を付けている。
 側面の扉は3箇所で、側窓はモハ271が2段窓、モハ
273は落とし窓としている。
 パンタは運転台側に付け、通風器はガラベンである。
 走り装置はD-16、主電動機はSE-131B 出力45.0kwを装架している。制御装置は三菱ABFである。

 内装は木造で、若草色のペイント塗装、床は木造とし防腐剤塗布としている。運転室は全室運転台である。

 小田急電鉄が開業時に用意したモハ1形を前身で、一族は18両が日本車両に於いて新製された。東急電鉄の発足によってデハ1150形に改番、昭和22年(1947年)に当時東急の管理化にあった厚木線に転出している。相模鉄道発足後の昭和26年(1951年)の改番によってモハ1000形となった。
 昭和33年(1958年)にモハ1004-モハ1005-モハ1006の形で3両固定編成となり、モハ1004・モハ1006の片運転台化、モハ1005を中間電動車に改造している。昭和38年(1963年より相模鉄道を去って京福のほか日立電鉄に転出している。

 モハ1000形をモハ271-モハ272-モハ273の3両固定編成で購入したものの、3両の運用が無くなった事から、モハ272は廃車となっている。
 昭和48年(1973年)に足回りが交換され、B-10-3からD-16に、主電動機はMB-64CからSE-131Bとなっている。

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2008-02-09

中小私鉄を調べるの面白さ

 毎度、とりぬまぐみの車両台帳へのアクセスありがとう。うっとうしい梅雨、今まで撮りためた写真を整理しては…………。

 中小私鉄を調べる面白さは、個々の車両の辿って来た歴史だろう。
新製されてから一度もその地を離れる事が無いまま一生を終えるもの、大手私鉄で働いた後に第二の職場として中小私鉄に移るもの、それぞれにドラマがある。

 俺も多くの鉄道ファンがそうである様に、国電や大手私鉄の車両の写真を撮って歩いていた。テレビ番組で紹介された総武流山電鉄に行った事が、この道に足を踏み入れる要因となった。1両1両顔立ちが違う電車に魅力を感じ、写真を撮るだけでなくその生い立ちを調べる様になった。
 中小私鉄を調べ始めた頃、中小私鉄では戦前型を含めた吊掛車の全盛時代であった。間接非自動制御の様な、今までに見た事の無い運転方法があったりして興味は尽きなかった。
 当時は中小私鉄を巡る鉄道ファンなど皆無の状態で、突然の訪問でも現場の人は快く招き入れてくれた。お茶をご馳走になった事さえある。
 高松琴平電気鉄道の今橋車庫では1日一往復しか走らない訳が、車庫の方の話からメタルを使った台車の保守にある事がわかった。富山地方鉄道の稲荷町車庫では車輪にタイヤを挿入するところを見た。汗だくになりながらガスバーナーでタイヤを暖めている。我々の見えない所で電車の安全を支えている人達の姿を見た。土佐電気鉄道の桟橋車庫では制御器の仕組みを実際の制御器を動かして説明してもらった。
 現場の人にしか解らない苦労話を聞く事が出来た事は貴重な体験をしたと思っている。質問に答えてくれた職員の方には感謝している。残念ながら最近は車庫内の立ち入りを断られる事も多くなって調査がしづらくなった。

 『とりぬまぐみの車両台帳』には原本がある。ワープロで作った文書をA4のコピー用紙にプリントし、穴を開けてひもでとじるといった原始的なものである。移動や廃車など動きがある度に訂正を加えてきたが、中小私鉄の動向は雑誌などで発表される事は少なく、人知れずに姿を消す車両も多かった。先輩方が書かれた記事や過去の写真に頼っているのが現実で、現在と過去の写真を照合によっても推測の域を出ない事も多い。各鉄道会社毎にまとめていたが、会社の枠を取り払った。登場した年代で分類する事によって、それまでに見えなかった事が見えてきた。
 写真はとても人に見せられるものではないが、走っている姿にこだわっている。車検などで出て来ないものもあって、何度も通ったあげく…………撮れなかった車両も多数ある。

 使えるディスクに制限があるために時間が経った記事は削除していることを了承して欲しい。

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